H-① 腎臓病 ①-2,萎 縮 腎
次に、萎縮腎は、水膿溜結が腎臓を圧迫するので、腎臓は充分の活動が出来ないので、其の為尿が溢れる、其尿が毒素となり、又は浮腫になるのであります。
此の診査は、腎臓部及び附近を指圧すれば必ず痛む個所があります。そうして此溢出した尿中の毒素を医学では尿酸と謂ひますが、私は之を尿毒と謂っております。」
(「腎臓疾患」療講
S11.7.)
「(中略)萎縮腎臓は、その萎縮の程度、例へば、九の尿を処置するとすれば、一の尿は体内に滞溜するといふ訳で、その余剰尿"一"が即ち尿毒である。此尿毒も二元毒素と同じく、神経集注個所へ溜結するが、此毒素は特に位置の関係上、腎臓部、腹部、股間淋巴腺、腹膜、肩部(肩の凝り)、頸部等へ集溜し勝ちである。但し、左右何れか萎縮する方が、尿毒の滞溜が多いのである。」
(「尿毒」医試 S14.)
「(中略)全身倦怠、頭重、肩首の凝り、物に倦き易く、根気がなく、何事も気が乗らず、不快感の為、鞅々(オウオウ)として楽しまず、無為にして日を送るといふ実に哀れむべき症状である。而も外見上、健康そうにみゆるので、周囲の者から横着の如くみらるるといふ訳で患者は猶更苦痛なのである。
然るに、右の如き症状は、悉く萎縮腎が原因であって、患者の腎臓部を検するに巨大なる毒素溜結があり、又脊柱の両側、肩、頭、淋巴腺附近、全頭部、腹膜部等に尿毒の溜結が相当あるのである。
故に、腎臓部を第一とし、其他各部の浄化法を行ふに於て、毒結減少と共に漸次苦痛は軽減し、畢に溌刺たる元気を取戻すのであるから、患者の喜びは例へようがない位である。此症状は、中流以上の人に多く、殊に婦人に多いのである。」
(「医学不明の流行病」明医二
S17.9.28.)
「(中略)腎臓部の凝結毒素が、如何なる悪作用をするかといふに此凝結毒素は、腎臓を圧迫するから腎臓が萎縮する。即ち萎縮腎となるのである。それが為、腎臓の役目である尿の処分が完全に行はれ得ない。即ち全尿の処分が困難となるから尿の幾分は、腎臓外へ浸潤するのである。そうしてその余剰尿は、全身凡ゆる方面に滞溜凝結するので、その最も凝結するのは肩部で即ち"肩の凝り"がそれである。
又、腹膜部に溜結する事も多いので、之が腹膜炎となり、盲腸炎、胃病、喘息、肋膜炎、所謂肺結核、淋巴腺炎、歯槽膿漏、首筋の凝り、眼病、脳疾患等は勿論の事、凡ゆる疾患の原因となるのである。独逸に於て、万病尿酸説を唱へる学者があると謂ふが一面の真理はあるのである。故に、腎臓萎縮は完全に治癒させなければならないが、それは蛋白の排泄によってのみ治癒するのであるから、蛋白の排泄こそ、最も必要な訳である。
右の理が未発見である医学は、蛋白の排泄を恐れるので、其為塩分禁止を行ふが人体は塩分を摂取しなければ著しく衰弱する。又牛乳飲用も衰弱を増し、安静療法も同様で、此三種の方法を行ふ時、完全に衰弱するから浄化作用は停止さるるので腎臓部の微熱は無熱となり、従而、無蛋白尿となるからそれを治癒するやうに思ふのである。
然し、真の治癒ではないから、一度腎臓病患者となるや慢性となり、一進一退の経路を辿り、全治する例は稀である。此理によって、速かに治癒させようとすれば、大いに運動をなし、高熱を出し、蛋白を多く排泄させる。それが最良の治療法で勿論食事は普通食でよいのである。」
(「腎臓及び糖尿病」明医二 S17.9.28)
「(中略)若し脂肪で肥るものならば、肉食者は肥り、菜食者は肥らない訳だが、事実は其反対の事の方が多いのである。では肥る原因は何かというと真の健康で肥る人は寔に少なく、殆んど腎臓萎縮と薬毒の為であって、そういう人に限って身体が重く、充分働けないものである。
そうして漢方薬中毒の人に肥っちょが多いもので、よく青ん膨れというのがそれである。又前者は萎縮腎で、尿の処理が悪いから浮腫が出る為であり、近来女学生などに肥っちょの多いのも、授業中などの場合男子と異って、便所へ行くのを億劫がるから、尿が腎臓の周囲に溢れて固まり腎臓を圧迫するので、其又余剰尿が身体中へ廻って、段々肥って来るので、之を吾々は小便太りと云っている。
何よりもそういう人は丈夫そうに見えても案外弱く、病気に罹り易いものである。後者は薬毒が少しづつ溶けては全身的に溜るので、此肥り方は局部的、変則的が多いからよく分るのである。」
(「脂肪肥り」
S27.6.11.)
「(肥満の質(タチ)で、胸から咽喉にかけて苦しく、横に寝る事が出来ず蒲団にもたれている状態・・)
肥っているのは腎臓の水気で、漢方薬を沢山服んでいるんだと思う。ゲンノショウコならとても治り難い。腎臓をよくやる。之は注意すべき事だが、ちょっとでも小便が出たかったら、我慢せずに行く事である。」 (「講話集補」 年代不詳.)
《浄霊》
肩、 腎臓、