D-⑤ 肺 浸 潤
「肺浸潤に付て説明をする。此病気は肋骨及び肋間に溜結したる毒素の浄化作用である。其際必ず微熱がある。それによって溶解した毒素が肺へ浸潤し、喀痰となって排泄されるのであるから、必ず治癒すべきものであって、それは何等の療法をせず放置しておけば自然治癒するのである。
然るに医療は湿布をしたり、薬剤を使用する。元来、人体は皮膚からも毛細管を通じて呼吸してゐるのである。湿布は此呼吸を止めるのである。呼吸が止まるからその部の新陳代謝が弱る。新陳代謝が弱るから浄化作用が停止する。浄化作用が停止するから解熱する。解熱するから毒素の溶解作用が停止して固まる。
即ち、浄化作用発生以前に還元するのである。故に、予後運動などして活力旺盛になれば再発するのである。そこで医家は激しい運動を戒しめ、過労を恐れるといふ訳である。(中略)」
(「肺病(二)」医試 S14.)
「(中略)最初風邪をこじらし長びくと、其時医者は肺浸潤とか肺門淋巴腺とか結核の初期のようにいうが、患者は何ともない。何故かといふと、大体首の周りとか肩とかの毒といふものは肋骨、腋の下などにからまる、又臍の周り、腎臓などへ固まる。咽を使ふと咽喉へ、腕を使ふ人は付根へ、腰を使ふ人は腎臓などへ固まる。(中略)
方々へ固まったのが人により一、二ケ所たまるのと、方々へかたまるのとある。そして溶けたのは皆肺へ入り肺を通過して痰になって出る。そういう時医療の方では、熱さましや湿布などいろいろ手当する。それは皆弱らす方法である。その他栄養食などしても弱らす。すると毒素がどんどん溶けて肺の中に入ると今度は止って出なくなる。安静にして咳も弱くなる。すると痰も出て来ぬので、肺の中へ段々停滞する。之を医者は肺浸潤というのである。
段々浸潤して、肺中にだんだん固まって塊が出来る。方々へ塊が出来る。すると呼吸困難になってくる。肺の中に塊が出来ると肺の大きさがそれだけ減った訳であるから一定量だけしか吸えぬ。それで度々吸うから息苦しくなる。中には肺の中には入らず、肺の中が一杯になり、肺の外に溜る人もある。身体が弱ってくると、肺の中に浸潤する力がなくなる。それで外へ固まる。そして肋膜と同じように固まって呼吸困難となるのがある。そういうのは大抵片方の肺だけ板のようで、呼吸の出来ぬのがある。
いろいろあるが、普通の肺病は、肺の中に塊が出来、段々固まると、医者は肺の中に結核とか壊疽とか癌が出来てるなどという之が本当の肺結核で、そうなってからは痰を査べると黴菌がある。早期には菌はない。菌のあるのは古い痰である。菌は自然発生するのである。痰が長い間肺中にあると、体温により腐敗する。そこで黴菌が湧く。故に肺病は絶対に伝染はしない。
私の家では肺病患者を泊めた事があり、子供六人一緒にゐたが、一人もうつったものはなかった。うつるようにみえるのは訳がある。今云った具合に肺の中に塊が出来る。これは間違った療法によってこしらえたもので、肺尖とか肺門淋巴腺などは、安静とか注射等その事が真の肺病にする事になる。」
(「丸の内中央亭御講話」 S16.9.11.)
「(中略)肺浸潤に就て説明するが、之は肋骨及び其附近に溜結せる毒素が熱によって溶解され、肺膜から肺臓内に浸潤し喀痰となって排泄されようとするそれを名付けた病気である。故にその儘放任しておけば順調に毒素は排除されて治癒するのである。然るに、医家も患者も結核の初期の如く恐れて種々の加療即ち浄化作用の抑止をするので終に難症に陥るのである。」
(「肺結核」明医一
S17.9.28)
「(中略)もし医学がなければ肺結核はなくなる。結核は医学が作る。身体中の毒は一旦肺へ行く。それを柔かく溶かし、水のようにする。そしてそれを痰にして排出する。その時〓音(ラオン)があると肺浸潤といふ。そして咳など止める。古くなると痰へ微生物が湧く。これが結核菌である。肺など決して悪くなるものでない。」
(「講話集補」S23.10.25.)
「(肺浸潤を患い多量の喀血・・・)
浄化作用として、喀血は大変に良い。」
(「講話集補」S24.10.8.)
「(中略)(肺炎カタル又は肺門淋巴腺・・・)
それと似たものに肺浸潤がある。之は軽微な肋膜炎又は肋骨附近に溜結せる毒素が浄化溶解し肺臓内に浸潤吐痰とならうとするので、此場合も医療は固めやうとするから容易に治らないので、何れも放任しておけば、順調に治癒するのである。」
(「肺炎と結核」文創 S27.)
「肺浸潤は肺の外部にあった薬毒の固りが溶けて、肺に浸入し痰になって出やうとする病気で、之も自然にしてをけば出るだけ出て完全に治るものを、医療は固めて出さないやうにするから、結核に迄進展するのである。」 (「結核の病原」医革 S28.)
《浄霊》 肺の周囲(肋骨及び肋間)背面を主に、肩、
頸部淋巴腺、延髄部