④本医学発見の動機と夜昼転換
「(中略)現界の凡ゆる事象は霊界の移写であるとして、茲に霊界に於ては、最近に至って一大転換の起りつつある事で、それを知る事によってのみ凡ては判明するのである。
本来天地間凡ゆる森羅万象は、曩に説いた如く、霊界と現界との両面の活動によって生成し化育し、破壊し創造しつつ、限りなき発展を遂げつつあるのであるが、之を大観すれば無限大なる宇宙であると共に、無限微の集合体である所の物質界でもある。(中略)
そうして一切に陰陽明暗あり、夜昼の区別がある。又春夏秋冬の変化や万有の盛衰を観る時、人生にもよく当嵌るのである。又総てに渉って大中小の差別あり、之を時に当嵌める時、即ち一日に昼夜の別ある如く、実は一年にも十年にも百年、千年、万年にも昼夜の別があるのである。然し乍ら之は霊界での事象で、現界に於ては一日の昼夜のみ知り得るに過ぎないのである。
此理に由って、今や霊界に於ては何千年目か何万年目かに当然来るべき、昼夜の切換時が来たのである。之は重要事であって、此事を知らない限り本医術の原理は判り得ないのである、と共に之を知る事によって、本医術は固より世界の将来をも見通す事が可能となり、茲に安心立命を得らるるのである。(中略)
それは本医術の原理発見も、医学の誤謬発見も、その根本は夜昼転換といふ一点に懸ってゐるからである。
既に説いた如く、病気の原因は人間霊体の曇りにあり、その曇りを解消する。それが病気治癒の唯一の条件でありとしたら、本医術発見以前の世界にあっては何故発見出来得なかったかといふ疑問であるが、その理由は斯うである。
曩に説いた如く病気治癒の方法に二つある。一は毒素を浄化以前に還元する。即ち固め療法であり、二は右と反対に毒素を溶解し排除する方法である。既存医学は前者であり、本医術は後者である事も、読者は既に充分認識されたであらう。
そうして本医術の原理が、人体より放射する一種の不可視的神秘光線でありとしたら、此神秘光線の本質は何であるかといふと、それは火素を主とせる一種の人体特有の霊気である。故に施術の場合、火素の多量を要する訳であるが、昼の世界に嚮(ムカ)ふに従って、霊界に於ける火素は漸次増量する。何となれば火素放射の根源は太陽であるからである。そうして火素は治病に効果ある以外、今一つの重要事がある。
それは霊界に於ける火素の増量は、人体の浄化作用をより促進せしむるといふ事である。即ち霊界の変化は直接霊体に影響する。火素の増量は霊体の曇りに対し、支援的役割ともいふべき浄化力強化となる事である。従而病気は発生し易くなると共に既存医療の固め療法の効果が薄弱となり終に不可能となる。
例へば夜の世界に於ては一旦固めた毒素は再発まで数年要したものが、漸次短縮され、一年となり、半年となり、三月となり、一ヶ月となるといふやうになり、終には固める事は不可能とさへなるのである。(中略)其他種々の病気にしても年々増加の傾向を高めつつある事も見逃すべからざる事実である。
以上によってみても、漸次夜から昼に転移しつつある事を知るであらう。全く夜の期間に於ける病気治療の方法としては、溶解よりも固める方が有利であった。それは毒素溶解に要するだけの火素が不足であったからである。従而次善的方法として固める方法を執るの止むを得なかったのである。それが終に人類社会に対し短命、病気、飢餓、戦争等の苦悩の原因となった事は、実に悚るべき誤謬であった。(中略)」 (「夜昼転換」天 S22.2.5)
「(中略)先ず今日科学の重点となっているのは、何といっても粒子の発見とその究明であり、これも顕微鏡の進歩によるのは勿論だが、その結果微粒子把握の進歩は驚くべきもので、何千、何万、何百万分の一という様に、止どまる処を知らない進歩であって、極微の極致までも捕える事が出来、将に無限界に迄突入せんとしている現在である。最近唱え出した精という言葉はこの無限界を指したものであろう。(中略)
処がこれこそ私の唱える霊の世界であるから、科学も漸く此処にまで来た訳で、正直にいって長い間霊を否定し続けて来た科学も、遂に敗北した訳である。
それはそれとして、右の如くこの精なるものこそ霊であり、気であってみれば、これを確実に把握出来たとしたら、ここに科学は一躍高度の地位に上ると共に、真理探究の学問の理想に一歩前進した訳である。(中略)
処がここに難問題がある。というのは霊の世界を把握しただけでは何にもならない。どうしてもその本質を把握し、人類に役立たせなければならないが、困ることには物の科学では方法があり得ない。どうしても霊には霊を以てするより外はないのである。
(中略)つまり霊の科学とは物の科学の奥の院といっていいのである。ここで私は霊界なるものを徹底的に掘下げてみよう。
抑々霊界の本質は日、月、土の三精から成立っており、科学でいう酸素、水素、窒素であり、吾々の方でいう火素、水素、土素の結合体である。そうしてこの三原素中の土が物質の本体で、日が霊の本質、月が空気の本質となっており、この日月二者がコントロールしたのが大気であって、これが地上の空間を充填しているのである。
併し火素が最も強力だが、稀薄なる為物の科学では把握出来なかったので、今日までは熱と光は分るが、精としての本質が不明であったのである。その為科学は水素と土素のみを研究の対象としていたので、現在は水と土の文化であり、これが文明の一大欠陥であったのである。
処でここに驚くべき世界の一大異変をかかねばならないが、それは前記の如く日、月、土の三原素から成立っており、日と月の交替によって昼夜の別があるが、これは物の面から見た現象であって、これとは別に霊の面にも昼夜のあることである。勿論物の科学では分りようがないが、霊の科学ならよく分る。
では右の異変とは何かというと、これこそ未だ嘗て人類の夢想だもしなかった処の驚くべき世界の大転換であって、それが今や開始されんとしているのである。それは昼夜を押拡げた歴史的異変であって、これを分るには時間的考察より外はない。
即ち霊界に於ては十年、百年、千年、万年にも昼夜の交替があることである。即ち地球の実体は火水土の三原素から成立っている如く、宇宙間一切は三の数字が基本となっており、これが宇宙の鉄則であって、昼夜と雖も三年、三十年、三百年、三千年というようになっている。
勿論その物の性質と大中小によって、霊から物に移写するには若干の遅速はあるが、根本は正確に流転している。その三千年の転換期が驚くべし現在であって、今はその黎明期に当るのである。このことは以前もかいたことがあるが、その日時までハッキリしている。
それは一九三一年六月十五日であって、この時を期として世界は昼になったのである。といっても或時期までは霊界の変化であるが、漸次現界に移写し、何れは現実的に分るのである。併し私はこれ以上深く解説したいが、それでは宗教的になるからここでは省くが、兎に角右は絶対であることを信ずればいいのである。
そうして霊界が昼になるということは、火素が増量することであって、徐々ではあるが物の世界にも移写しつつある。(中略)」
(「私は宗教科学者だ」 S29.4.7)