「近来季節的に流行する疾患に、嗜眠性脳炎がある。(中略)
私の発見によれば、この病気にかかるや、先づ、高熱はもとより、特に著るしく左右いづれかの延髄附近に、たえず猛烈に毒素が集溜するので、集溜した毒素は、小脳へ向って流入するのである。そうして、延髄附近から小脳部へかけて施術するに於て、延髄部の集溜は、漸次、減退するのである。そうして、普通二三日を経て多量の目脂及び鼻汁が排泄しはじめてくる。
重症は、それに血液の混入を見ることもある。そうして盛んに排泄せらるるに及び、漸次覚醒して恢復に向ふのである。右の如き経過によって、一週間位にして全治するのであって、この病気は、何等手当特に氷冷を施さなければ必ず治癒し、生命に危険はないものである。
右を説明してみよう。原因としては、夏日頭脳を炎天下に、長時間さらす場合、その刺戟によって、背部及び肩部附近にある毒素が急激に、頭脳に向って集溜するのである。そうして、其毒素が小脳中に侵入し、嗜眠作用を起こすのである。此病気が夏に多いこと、児童に多い事などは、右の理に由るからである。
そうして小脳中に侵入した毒素は、尚進んで眼球部及び鼻孔から排泄し、治癒するのであって、勿論猛烈な浄化作用である。然るに此場合、医療は主として氷冷を行ふから、毒素は其局部に凝結して、排泄し能はざるに至り、嗜眠はそのまま持続し、終に衰弱死に到るのである。」 (「脳疾患」明医二 S17.9.28)
「(中略)嗜眠性脳膜炎は、夏期炎天下に頭脳を晒す場合、太陽熱直射によって、肩部及び背部一円の毒素が小脳に向って集中するのである。故に発病の場合、後頭部より延髄附近に毒素集溜し猛烈に弩脹(ドチョウ)する。其際毒素溶解法を行ふ時一時は柔軟になるも、忽ちに弩脹するといふ工合に頗る執拗である。然し乍ら根気よく施術するに従って漸次軽減し、一週間位にて快癒するのである。施術後両三日を経て、眼球及び鼻孔より多量の膿が流出し血液を混ずる事もある。
右の如く、膿の滲出が些かでも認め得れば、最早恢復期に入った事を知るべきで、漸次恢復に向ふのである。此病気は医学上恐れられてゐるが、吾々の方では治癒し易いものとしてゐる。医学の一部に、原因として蚊の媒介説があるが、嗤ふべき誤説である。(中略)」 (「脳疾患」天 S22.2.5)
「(中略)日本脳炎の真原因を茲に説明してみよう。抑々、人体は何人と雖も必ず先天性及び、後天性毒素を多少なりとも保有してゐる。毒素とは勿論毒血と膿である。処が、人体が何等かの刺戟を受けた場合、毒素は必ずその部に集注する。
之を判り易くいえば、彼の灸点である。灸を据えるやその部が紅脹を呈し甚だしきは化膿さえする。又肉体を殴打(オウダ)や器物の衝戟による場合、必ずその部が紅脹を呈するのは前述の如く毒血が集注するからである。此理を推進めてみる時、日本脳炎の原因は容易に判るのである。
それは、子供が殆んど帽子を冠らず炎天下で遊ぶ、特に六歳から十歳位までは右の傾向が著しい、それがため頭脳が熱する、恰度、灸を据えると同様である。その場合人体の背部一円にある毒素が頭脳へ向って集注運動を起す。何よりの證拠は、発病と同時に両側延髄附近は棒の如く硬化し高熱が伴ふ。之は毒素が頭脳目がけて進行し、一歩手前に一時的集溜するからである、次いで毒素は小脳に向って侵入運動を起すや睡眠状態に陥る。
然し茲に問題がある。その際医療は必ず氷冷を施すから、此氷冷の作用で毒素は其部へ固まって了ふ、言ひ換れば、自然に治るべきものを治さないようにする事である。之は驚くべき誤謬で、何よりも、その場合本教浄霊をするや毒素は小脳から頭脳を通過し、両眼及び鼻穴から排泄し始めるからで、勿論重症程それが多量である。普通二、三日で出尽し、それと共に快癒する。
実に簡単なものである。先づ一週間以内で例外なく全治するのである。其の結果発病以前より頭脳明皙となり、学童などは必ず成績可良となる。右は一点の誇張もなく事実ありのまゝの経路である。
然るに医学に於ては、予後、頭脳が悪くなり、軽度の痴呆症状や、手足の障害等、種々の禍根を残すので、おそれられるのである。之は何が為かといふと、前述の如く自然に排泄されるべく、毒素が小脳を通過せんとするや、氷冷で固めてしまふから固結は頭脳活動の障碍となるからである。(中略)」
(「日本脳炎は果して蚊の媒介か」自叢十 S25.4.20.)
「其他として、彼の日本脳炎であるが、之は統計によるも五歳から十歳位迄が、最も多いとされてゐる。之によっても判る如く、夏日炎天下に帽子も被らないで遊ぶ場合、脳は強烈な日光の直射を受けるから、其刺戟によって背部、肩等にある毒素が頭脳に向って集中を開始する。
その際一旦延髄附近に集溜するので、其部に手を触るれば棒状の固結を見るが、それが高熱によって溶解、後頭内に侵入するや、非常に睡くなるのである。処が医療は氷冷で固めるから、予後脳膜炎と等しく、種々な不具的症状を残すのである。
然し此病気も放置しておけば、後脳内に入った毒素は、頭脳を通過して目及び鼻口から、血膿となって旺んに排泄され、出るだけ出ればそれで完全に治って了ふのである。先づ全治迄一週間とみればいい。而も予後脳膜炎と同様、児童などは非常に学校の成績が良くなるのみならず、初めから生命の危険などは絶対ないに拘はらず、死ぬといふのは全く氷冷等の、誤れる逆療法を行ふからである。そうして日本脳炎は夏期罹病する(中略)」
(「腎臓病と其他の病」文創 S27.)
「次は日本脳炎であるが、此原因も簡単である。子供が夏日炎天下に晒されるので、頭脳は日光の刺戟を受けて、背中一面にある毒素が、後頭部目掛けて集中する。其過程として一旦延髄部に集結し、高熱で溶け液体毒素となり、後頭部内に侵入する。その為眠くなるのであって、其他の症状も多少はあるが、右の液毒は脳膜炎と同様、目と鼻から血膿となって出て治るのである。
何よりも発病するや、忽ち延髄部に棒の如き塊りが出来る。之はいくら溶かしても、後から後から集注してくるから、浄霊の場合根気よく二、三十分置き位に、何回でも浄霊するのである。すると峠をすぎるや、目や鼻から血膿が出始める。それが治る第一歩で、驚く程多量な血膿が出て治って了ふ、先づ数日間と見たらよからう。
之でみても此病気は何等心配は要らないのである。処が医学は原因も判らず、毒を出す方法もないから、無暗に伝染を恐れる。之も脳膜炎と同様、氷冷が最も悪く、其為長引いたり、命に関はったり、治っても不具になるのである。近来医学では蚊の媒介としてゐるが、之は怪しいものである。然し吾々の方では簡単に治るのだから、そんな事はどちらでもいい訳である。」
(「小児病」文創 S27.)
「(中略)次に近来流行の日本脳炎であるが、之は五才以上十才位迄の子供に多い病気で、医学では蚊の媒介が原因としてゐるが、之は間違ひであって、本当は夏日炎天下に頭を晒す為、その刺戟によって首、肩、背部一面にある毒素は、忽ち頭脳目掛けて集注する。
その際延髄部を見れば、棒の如き固結があるからよく分る。故に浄霊の場合之を溶かすのを専一とするが、後から後から集注して来るので、随分根気よく行らねばならないが、普通数時間乃至十数時間で、大抵は好転し始めるものである。
その際溶けた液体毒素は頭脳を突き抜け、目や鼻から多量の血膿となって出るが、之も出るだけ出れば全治するのであるから、割合簡単で、今迄の経験上命に関はる事など殆んどないのである。之も脳膜炎と同様、予後は頭脳明晰となり、不具には決してならないから安心して可なりである。(中略)
右の外慢性頭痛、頭重、眩暈、朦朧感、圧迫感等の症状もあるが、之にも二種ある。脳貧血と其反対である頭脳の微熱であって、之は触れば前者は冷たく、後者は熱いから直ぐ分るし、どちらも嘔吐感を伴ふ事がよくある。勿論原因は首の周りの固りが、脳の血管を圧迫するのが脳貧血であり、浄化熱が別の方である。
此様に浄化にも固るのと溶けるのとの両方あるから、之は充分知ってをく必要がある。そうして今日多い神経衰弱も右のどちらかであって、之も放っておけば徐々として治るが、薬その他の方法で固めやうとするから、逆効果となって病気は益々昂進し、堪へられぬ苦痛の為、社会的に惜しい人でも自殺をする人が往々ある(中略)」
(「脳疾患」医革
S28.)
「(中略)又日本脳炎の原因は背部から肩へかけての固結毒素が浄化で溶け、後頭部から前頭部へ抜け、目や鼻から多量の膿血となって排泄され治るのであるから、予後は病気前より頭脳明晰となり、学童などは成績一変する位で、恐れられている不具者などには絶対ならないのである。」 (「伝染病」ア救 S28.1.1.)
「(中略)脳膜炎だつたら頭が割れる様に痛いですからね。之は日本脳炎ですね。その非常に重いものですね。耳は治ります。溶けた毒が耳に溜つたんです。一週間位から眠る様に――脳膜炎はこう言う事はない。眠るんじやない。食欲がないのは仕方がない。便通は問題じやない。非常に順調ですよ。非常に重いから長くかかるんですね。併し少し経つとずつと良くなる。薬毒も相当あるから、それで長くかかる訳ですね。そう言う時には、序でに薬毒の浄化も起りますからね。結核性脳膜炎じやないですね。
日本脳炎です。(中略)それで、後頭部を良く浄霊する。最初は相当固かつたでしようが――仰けに寝ているから気がつかなかつたでしようが、そう言う訳ですから、決して心配ないです。」
(「御教集2号」 S26.9.15.)
「(中略)これ(日本脳炎)は何時も言うとおり、頭を天日で照らすために後頭部に毒素が集中するわけです。その毒素というのは背中の毒が多いです。人間は背中の方がずっと毒が多いのです。何故背中に毒が多いかというと、人間はうつぶせに寝る人はないので仰向きに寝るから、背中に溜まるのです。
それで背中一面から肩にある毒素が、頭を照らされるので、上って来るのです。それで人間の体はうまく出来ているので、後頭部まで来ると外に出される事になっているのです。それで後頭部から頭脳を通過して目脂(メヤニ)や洟(ハナ)になって出るのです。それで出る場合には必ず血が混じっているのです。それは此処の毒血が出るのです。これが出るだけ出れば治ってしまうのです。
それを氷で冷やし、いろいろして出さないようにするから、此処に固まりが出来てしまうのです。治ってから馬鹿になるとか、首が自由にならないとか、手が痺れてしまうというわけです。それは固めるからで、放ったらかしておけばあんなものは治るに決まってます。それが日本脳炎ですから、こういう結構なものはありません。日本脳炎をやれば、この辺の毒は余程減ります。それが分れば何でもありません。(中略)」 (「御教集25号」 S28.8.16.)
「(中略)信者の人からみれば日本脳炎というのは結構です。これは大体肩から背中の毒が頭を照りつけられるので寄って来るのですが、後頭部に寄って頭を抜けて目脂と洟になって出て来るのです。その時に医学では冷やしたりするから、頭の何処かに固まるのです。そこで後(アト)が片端みたいになるのです。
此処(前頭部)に固まれば目が見えなくなるとか、横の方に固まれば耳が聞こえなくなるとか、頸の方に固まれば手が痺れるとか、そういうわけです。ですから何にもしなければ、出るだけ出て治るに決まったものです。(中略)多分日本脳炎だろうという事は、延髄が動かなくなりますから、はっきり直ぐ分ります。そういうわけですから、日本脳炎などには大いにかかるようにした方がよいです。頭がよくなります。(中略)」 (「御教集25号」 S28.8.17.)
「昔の眠り病――即ち、嗜眠性脳炎であるが、進駐軍が日本脳炎と名付けた。(中略)人間の背中は一番毒が多い。少くとも前の五倍以上で、如何なる病気も背中を浄霊すればよい。(中略)何となれば、人間は背中を下にして寝る為に服んだ薬が背中に行って溜る。痛みは全部薬であるからであるし、痛みは全部自分で作ったものである。
日本脳炎の特徴は、延髄部が棒のようになり、かがめない。治ると身体は軽くなり、頭がよくなる。医療では氷で冷すから固まる。その為に脳膜炎の痕のようなものが残る。であるから生命の危険は少しもない。夏だけに多く、北海道には少い。これは日が弱いからである。日本脳炎の予防は日向(ヒナタ)に長くいない事、日光に照らされる時は帽子をかぶる事である。冬起る事があるが、それは頭へ入らず脊髄脳炎で止る。日が弱いからで、之は日本脳炎よりは日数が掛る。一週間乃至二週間である。全部首が硬直して、動くまで日数がかかる。」 (「講話集補」年代不詳.)
「日本脳炎は眠っているから食物を全然食わない。物を食わず熱が高いから衰弱して死ぬのである。(中略)」
(「講話集補」 S23.)
「(日本脳炎は・・・)日向へ出て頭へ日が当ると身体にある毒素が脊髄を通って頭へ上る。それで子供に多い。脊髄脳炎は延髄へ集まる。本当はそうして毒を出した方がよい。小脳へ入ると眠くなる。肩頸の毒が多い。血膿が眼鼻等から出る。次から次へ昇るから、根よく三十分位間をおいては日に十回位する。(中略)」
(「講話集補」 S23.8.8.)
「(日本脳炎は・・・)背中の毒が暑さの刺戟で上昇し、延髄へ膿が固まる。何でも刺戟すれば、そこへ膿が集まるもので、お灸と同じ原理である。その為に延髄部は棒のように固くなる。浄霊をすると溶けて柔かくなる。三十分か一時間おきにやれば段々寄るのが少なくなる。すると鼻孔から血膿が出て治る。ひどいのは眼からも出る。実に簡単に治るんで、死ぬなどといふ事は絶対にない。「元気な子に多い」と医学で言ふが、元気な子ほど外へ出るし浄化力も強い。濾過性黴菌といふが、これは空財布を無銭性財布といふようなものである。(中略)」 (「講話集補」 S23.8.12.)
「(日本脳炎より唖す・・・)すっかり治る。氷で冷した為に斯うなったのであるから、固まったのを浄霊すると治る。放置しておいても治るものである。熱くした所へはすべて毒が寄ってくる。脳炎は日射により膿が頭の中へ入り、目や鼻から血膿が出て治る。」
(「講話集補」 S23.12.16.)
「(中略)日本脳炎で手足がブラブラする事はない。身体中の毒が集り、延髄が棒のようになっている。それが小脳へ入り、固まって手足がブラブラになる。放置しておけば治る。」
(「講話集補」 年代不詳.)
《浄霊》 後頭部、延髄附近から小脳部、 肩部及び背部(脊柱の頂部から三分の一辺)
根気よく20、30分~1時間置き位に、何回でも浄霊