9-② 食物について
「(中略)次に、食物に就て説いてみよう。食物とは何ぞや、いふ迄もなく人間を初め凡ゆる生物を造られた造物主が、その生命を保たしむる目的を以て、それぞれその生物に適合する食物を与へられてゐるのは自明の理である。故に人間には"人間が食すべきもの"として、大体定められてゐるのである。そうして如何なる食物が人間に与へられたるものでありやを知るべきであるが、之は洵に容易な事である。何となれば、その条件として「味はひ」なる要素があるから、それによってよく分るのである。即ち、造物主は人間に対しては、味覚なる本能を与へ、食物には「味はひ」なるものを含ましてある。
此理に由って、すべての食物にはそれぞれの味はひがあり、それを楽しみつつ食する事によって栄養となり、生が営なまれるのである。故に、ヴィタミンがどうの蛋白質がどうのなどといふ事は、何等の意義をなさないのである。
前述の如く、ヴィタミンの如き栄養素が仮に人体に必要であるとすれば、如何なる食物からでも体内の機能が製産し、変化させるのであるから、食物に関する限り自然で可いので、特に栄養学などと、学問的に研究する必要がないのみか、却って有害でさへあるのである。此理に由って、各人それぞれの環境、職業、体質等によって、嗜好物にも自然差異が生ずるのであるが、その時欲する物は、その人に必要であるから摂れば可いのである。喉の涸いた時、水がほしいのと同様である。
茲で、食物の性質に就て述べてみよう。元来栄養なるものは、野菜に最も多く含まれてゐるのである。従而、栄養だけの目的からいへば、穀類と野菜だけで充分健康を保持し得らるるのである。故に実際上、全然野菜を食せず、魚鳥獣等の肉のみを以て生活すれば、敗血症を起す事は周知の事実である。
これに反して、野菜のみを食って病気をおこすといふ事は、未だ聞かないのにみても明かである。そうして面白いことは、人間の性格なるものは、食物の種類によって、大いに影響を受けるものである。即ち、野菜のみを食する時は性格が柔順になり、無抵抗思想となるから、国民的には、国際的敗者となるのである。彼の印度が滅びたのは、宗教的原因にもよるがそれよりも同国民の食物が、殆んど野菜と牛乳にある事が、その主因であらう。又動物に於ても、ライオンや虎の如き肉食獣は獰猛性(ドウモウセイ)なるに反し、牛馬の如き草食動物は柔順なるにみても瞭かである。
従而、菜食者は自然、物質的欲望や野心等の積極性が乏しくなるから、現代文化の社会に於ては、その境遇や職能により魚鳥等の肉をも食しなくてはならないのである。
又、現在の如き国際競争や民族闘争の旺んな時代に於ては、獣肉も必要となるのである。即ち肉食は競争心や闘争意識を湧出せしむるからである。(中略)
近来、一部の論者に、肉食が非常に害があるやうに言ふが、之は謬ってゐる。元来食物に毒素があるとしても、それは極軽微であって、自然浄化によって消失するから、肉食も程度を越えない限り差閊(サシツカ)へないのである。
以上の意味に於て、食物の種類は、各人の境遇や職能によって、取捨選択すべきである事が判るであらう。然し乍ら、人間は如何なる境遇にあるも、八拾歳以上になれば、物質的欲望や闘争意識の必要はなくなるから、菜食にすることが、最も良いのである。そうする事によって健康にも適し。より長命を得る事になるのである。
右によってみても、粗食が如何に健康増進に適するかといふ事は明かである。然るに、今日罹病するや、栄養と称し動物性食餌を推奨させる以上、かへって衰弱を増し、病気治癒に悪影響を与へるといふ結果になるのである。(中略)
次に、罹病するとよく粥に梅干を摂らせるが、之等も大いに間違ってゐる。元来梅干なるものは、往昔戦国時代に兵糧の目的を以て作られたものである。それは出来るだけ容積が少なく、少量を食して腹が減らないといふ訳である。故に今日に於ては、登山とかハイキング等には適してゐるが、病人には不可である。病床にあって運動不足である以上、消化し易い物を食すべきである。故に、健康時に於ても、梅干を食ふ時は、食欲は減退するのである。
次に、栄養と称し、小児によく肝油を服ませるが、之も間違ってゐるのである。それは食物中には、米でも麦でも豆でも菜でも、それぞれ特有の油分はあるのであるから、体内の機能が凡ての食物から抽出する。それで、過不足なく丁度好いのである。即ち、糖からは糖油がとれ、菜種からは種油、大豆からは大豆油が採れるにみても明かである。然るに、油のみを飲用する事は偏栄養的で、不自然極まる事である。即ち油だけを飲めば、体内機能中の油分抽出機能が退化するから、結果は勿論悪いにきまってゐる。」
(「栄養学」明医二 S17.9.28.)
「是から説く営養食は、日本人を基礎としたものである。今、人間の食物を二大別すると、植物性食餌と動物性食餌とである。今、此植物性食餌から説いてみる。
肉体の血になり、肉になる営養素は、植物性食餌即ち穀類野菜であって、単に、肉体を養ふ丈の意味から言へば、植物性食餌のみで充分なのである。然し、人間は、社会生活の必要上、唯生きる以外、智慧、元気、発展向上心、凡ゆる欲望、夫等がなくてはならない。そういふ意志想念を湧出するに力あるのが、動物性食餌の役目である。故に、都会生活者は、その必要から動物性食餌を多く摂る事になり、反対に、農村人は、植物性食餌を多く摂るといふ事は、実に自然によく出来てゐるのである。
であるから一度病気に侵された時は、野菜食を多く摂るのが合理的である。病気に罹れば、智慧を揮ひ、元気や欲望の必要がないので、反って、病気の為の熱や苦痛の為、肉体的要素が衰弱消耗するを以て、それを補給する必要上野菜食に限ると言ってもいいのである。然るに何ぞや、今日の営養学は、病気に罹るや、反って、平常よりも肉食を多く摂らせる為、病気に依る肉体消耗へ拍車をかける様なもので、その謬れるの甚しきは実に恐るべき事なのである。
天地間、森羅万象、凡ゆる物の生成化育は、陰陽の理に外れるものはない。昼と夜、夏と冬、天と地、火と水、男と女といふ様な訳であって、食物にも又陰陽があるのである。
穀類で言へば、米は陽にして、麦は陰である。人種から言へば、日本人は陽で、西洋人は陰である。日本人が米を食ひ、西洋人が麦を食ふのは此理によるのである。故に、日本人は、米を主食とするのが本当であるから、儻(モ)し、止むを得ざる時は、米より麦の方を少く食へば差支えないが、麦の方を多くするといふ事は絶対不可である。
又植物性食餌を陰陽に分ければ、穀類が陰で、野菜類が陽である。野菜の中にも陰陽があって、根とか実とか、白色、赤色、黒色とか言ふものは陽であり、菜の類、葉の類、すべて青色の物は陰である。大根の白い根が陽であり、青い葉が陰である。故に、理想から言へば、その時と場合に応じて、陰陽を按配よく摂取するのがいいのである。
魚は陽であり、野菜は陰で、鳥は陽であり、魚は陰である。是等をよく考へて、其人々の生活に、当て嵌めてゆけば間違ひないのである。男子は外へ出て、智慧や元気を揮ふのであるから、動物性食餌と、植物性食餌と半々位が良く、婦人は内に居て、体的活動が多いのであるから、植物性七分、動物性三分位が最もいいのである。近来、上流婦人にヒステリーが多くなったのは、動物性を多く摂り過ぎる為なのである。」 (「完全営養食」医講 S10.)
「(中略)食物に就て一例を挙げれば、私は、夏は、茄子の香の物と枝豆を特に余計食ふ。之は、茄子を喰ふと非常に痰が出る。其理由は、茄子は、体内の掃除をする力があるので、神は人間に、沢山食はしむべく、此野菜は、沢山生るのである。枝豆は夏季に限る野菜で之も夏季多食すべく、与えてあるのである。又秋は、柿を出来る丈食するといいのである。柿は冷えるといふが、之は冷えるのでなくて、体内の洗滌をするので、それが為に、小水の多量排泄となるのである。」 (「食餌の方法」医講 S10.)
「(中略)硫安の如き化学肥料は劇毒薬であるから、それを吸収した米を食うとすれば、自然人体も影響を受け、健康に悪いのは勿論である。それは血液が濁るからである。何しろ主食は一日三度宛、年が年中食っているとすれば、仮令僅かづつでも積りつもって相当の毒分となり、之が凡ゆる病気の原因となるのである。(中略)」 (「虫害」自解 S26.1.15.)
「(中略)硫安肥料をよく使うが、これは劇薬毒であるから、これを吸収した米を食べると、自然人体も影響を受け、健康にも悪いのは当然といえる。つまり血液が濁るからだ。」
(「腹の虫は人為肥料から」東日 S28.2.28.)
「(中略)茲で米というものの根本的意味をかいてみるが、抑々造物主が人間を造ると共に、人間が生きてゆける丈の主食を与えられた。それが米麦であって、黄色人種は米、白色人種は麦となっている。」 (「自然栽培に就いて」革自 S28.5.5.)
「(中略)元来消化器能なるものは、定められた食物以外は処理出来ないやう造られてゐる以上、薬は異物であるから処理されないに決ってゐる。それが体内に残存し、毒化し、病原となるので、此理を知っただけでも、人間は大いに救はれるのである。而も薬剤の原料は悉く毒である事は、専門家もよく知ってゐる。」 (「薬の逆効果」医革 S28.)
〔牛乳、ニンニク、肉食、酒、等〕
「(中略)牛乳に就てであるが、牛乳は歯の未だ生えない嬰児には適してゐるが、歯が生えてからは不可である。それは歯が生えるといふ事は、最早固形物を食してもいいといふ事である。消化機能が発達して固形物が適するやうになったといふ事である、之が自然である。故に栄養と称して成人した者が牛乳を飲用するといふ事はその誤りである事は言ふ迄もない。どういふ害があるかといふと、全身的に衰弱するのである。
曩に述べた如く、食物を余り咀嚼してさへ衰弱するのであるから、牛乳の如き流動物に於ては、より以上衰弱を来すのは当然である。成人者が牛乳飲用の可否に就て、私に問ふ毎にいつも私は、嬰児と同様の食物を摂るとすれば、その動作も嬰児と同様に這ったり抱かれたりすべきではないかと嗤ふのである。之等も学理に偏し実際を無視した医学の弊害である。」
(「栄養学」明医二 S17.9.28.)
「(中略)牛乳に就て、是非、注意したいのである。小児ならイザ知らず、青年以上になっても、牛乳を飲用する人があるが、是等は、実に、謬れるも甚しきものである。何となれば、歯は、何の為に生えてゐるのであるか、勿論、物を咀嚼する為である。赤児は歯がない為に乳を呑むので、立派に歯のある者が呑むといふ事は、如何に天理に外れてゐるか判り切った話である。
設(モ)し、大人が赤児と同じく、乳を飲むとすれば、赤児と同じく、立って歩かないで這って歩くのが当然ではないか。こんな判り切った事さへ判らない、文明人といふものは実に、愚かな者であると思ふのである。
牛乳を飲むのは間違ってゐるが、食物の味、例へば珈琲に入れるとか又は、菓子や料理に使用する位は差支えないのである。日本人が牛乳を飲むと体力が衰へるのである。私は牛乳常用者へ、此害を説いて、飲用中止した為、健康を増加した者の、余りに多いと言ふより、殆んど全部といふ方が、当ってゐる事実を、茲に報告するのである。」 (「完全営養食」医講
S10.)
「(「ニンニク」を喰べても矢張り薬毒は残りましょうか。)
薬毒はないが、かういった臭いものを沢山食ふのはいけません。人間は味のない物を一番余計に食ふべきものなんです。その次には味の薄いものを食ふんです。だから、米の飯と水、之は味がないから一番余計に摂って、次に味噌汁だとか煮物だとかは味が薄いからこれをその次に食ふんです。之に対して味の濃いもの、辛いもの、例へば唐辛子(トウガラシ)だとか、わさびだとかですね、梅干の様に酸っぱいもの、それから臭いものは少しならいいけど、沢山食ふのはいけないんです。
勿論、朝鮮人の様に子供の時から始終食って馴れてるのは差支へないんですよ。けれどね、日本人が急に「ニンニク」を食ひ出すのはいけません。よく「ニンニクは薬になる」って言って喰べますがね、そんな事はありませんよ。普通ニンニクは神様には御上げしませんが、それは臭いからですよ。若し上げるんならほんの少しでいゝんです。唐辛子やわさびも同じですよ、然し、少し位なら喰べたっていゝんですよ。やっぱり、刺身にはわさびがないとまづいですからね。」 (「御光話録10号」 S24.5.13.)
「(肉食は差支へないでしょうか?)
差支へますね。この人はまだ子供だから、きっと癖をつけてしまったんでせう。紫斑病には特に菜食がいゝんです。脳溢血なんかも菜食にすると起りませんよ。だから脳溢血になるのは美食の人ですよ。
以前、肉を喰べると喀血し菜食にすると喀血が止まるって人がありました。出血に関係のある浄化の時には菜食にすべきですね。昔の人は切腹しても未だしゃべってましたが、あんな事が出来るのは日本人だけですよ。外人には之は出来ないんです。槍で突かれても槍をこう持って(笑声)しゃべる、あんな事が出来るのは菜食の為腹の筋肉が収縮するからですよ。
(酒なんかは如何でせうか?)
酒もいけませんね、出血し易い。だから特に酔払ってる時切られるのは危いんです。こんな風に食物と出血は非常に深い関係があるんです。」 (「御光話録15号」 S24.9,10.)
〔病人に対して〕
「(病人に栄養食を与へる事は)
先づ栄養食とはどういふものかといふ事ですね。医学では完成した食物といふ意味ですね。所が人間の肉体は完成品が入っては働かないのです。未完成品を完成品にするのが臓器の働きです。だから栄養食を喰へば弱ります。
(衰弱してる人に牛乳や卵なんかは)
それは栄養食ではないですね。衰へると完成品にする働きが鈍りますから、或程度完成したものがいゝですね。一番いゝのは病人の欲しがるものを与へることです。リンゴなんかをおろしてやるのもいゝですが、果物はリンゴより汁の多い方がいい。医学は外国人を基にしてゐるから、日本在来のもの、例へばアンコの様なものは病人に与へることを禁じますが、アンコなんかは材料は小豆で砂糖も入って居り非常に栄養はいゝのですがね。之は西洋にはアンコなんかないからで、医者の本にも書いてないから禁じるのですね。
栄養とは私は食物殊に野菜の中の霊気の強いものをいふのです。野菜でも西洋のは霊気が薄い。日本の土地の方が霊気が強いから作物も強くなるのです。馬鈴薯なんか私は余りたべません。松茸なんか非常に強いのです。だから香りも強いのです。香りの強いものは霊気が強いと思ってよい。果物は香りがあり汁気の多いものが霊気が強い。柑橘類はいゝですよ。
胃潰瘍なんかの場合は「おかゆ」がいゝです、胃壁がたゞれてゐるのだから。出血するなら流動食、出血が止んだらおかゆ、それで調子がよかったらごはんにしたら宜しい。チブスなんかも同じで、腸出血のために死ぬ事があります。私は下痢の時、水の様に下る時はおもゆの薄いのを食べ、便が固まるにつれて食物も固いのをたべる様にしてゐます。」 (「御光話録」
S23.11.18.)
「(中略)(病人が野菜を多食致します時、どんな野菜が一番宜しいでせうか。)
これは、その人が喰べたいものを喰べたらいゝんです。よく、何々は体に薬だから喰べたくないものを我慢して喰べるって事がありますが、あんなのは全く嘘ですよ。喰べたいって欲が起るのは体に必要だから喰べたくなるんです。喰べたくないってのは体に必要ではないか、或は喰べてはいけないんです。人間の体ってのは実にうまく作られてゐるんですよ。それなのに人間の方で間違った事をやってるんですよ。
(混食といふ事は如何でせうか?)
やはり好きなものを喰べたらいゝんですが、原則は両方食ふ事ですね。
(胃の悪い人でも甘いものを非常に欲しい事がございますが……)
えゝ、食ひたけりゃ食ったらいゝですよ。
(然し、喰べますとあとで具合が悪くなります。)
悪けりゃ加減して食ったらいゝ。(笑声)やはり程度ですよ、だから程々に自制する事ですね。
(重傷の時に果物はいけないと伺ひましたが――)
そんなこと絶対言ひませんよ。――たゞ下痢が劇しい時だけはいけませんね。下痢がふえて体が疲れますからね。それ以外の時は構わない、果物だって神様が人間の為に作られたんだから極くいゝんです。
それからね、子供に餡気はいけないってよく言ひますが、これは大変な間違ひですよ。以前六つ位の男の子が来たのでそばにあった羊かんをやったんです。するとその母親はびっくりして羊かんなんか喰べるのは生れて初めてだって言ふんですよ。子供の方は喜んでペロペロッと喰べちゃいましたがね。これはね、お医者さんが餡は疫痢の原因になるからって食はせないからですよ。そしてそれは医学の本に餡なんて書いてないからなんですよ。――ってことは、医学が西洋の直訳で西洋の医学の本にアンコだのミソシルだのはのってないからですよ。(笑声)
だから、その代りお医者は牛乳だのオートミールだのって西洋の食物を喰べろっていふでしょ。――けど、日本の押割麦もオートミールも同じもんですからね。又、アンコが何故悪いかって言ふんですよ、小豆を粉にしてよく煮て砂糖を入れて作ったんだから実にいゝもんですよ。
(飴なんかは如何でせうか?)
差支へありませんよ。飴と餡は違ふけど、いゝですよ。却ってチョコレートなんかの方が体に悪いですね。」
(「御光話録16号」 S24.11,12.)
「(中略)完全な栄養のみを採るとなると人類は滅する。不完全なものをもって完全なものを作るといふのが人間の体であるから、完全なもののみを食えば人間は滅する。不完全を完全にしようとする――その活動が生命である。栄養食などでは、乳が出ぬと乳を飲む。であるから、栄養を食えば弱る。今は凡て逆をやっている。以前、鶏で医学が試験し、完全栄養をやったら二日で死んだ事がある。」 (「講話集補」
S23.11.4.)
「(中略)食欲のない時我慢して食ふのは極くわるい。食欲起らねば半日でも一日でも食はなければよい。」
(「講話集補」 S23.10.22.)
〔食べ合わせについて〕
「(世間でよく食べ合せと言う事を申しますが、)
世間で言う程はない。いくらかあるが大した事はない。例えば、生梅などは腫物になる。梅菌という。餅草の毒に当ると恐ろしい。柿もそうである。 鰻と梅干も大した事はない。食物の毒はある。
普通の物を食べた、それによってどうという事はあまりない。一色でも毒のあるのは恐い。生梅はよくあたる。梅にあてられたのは梅毒と同じ症状になる。餅草と間違えて食う草に大毒がある。紫牡蛎などもある。」 (「講話集補」 S23.12.11.)
「(昔からよく食い合せをすると下痢をするとか、命にかかわると申しますが、)
食い合せなどはない。偶々食べた時に腹が痛かったりなどした時、食物に原因を帰するのである。
ただ一色でも中毒する事はある。紫茄子とか餅草など、間違えてよく似た毒草を食う事があり、その為に死ぬ事もある。生梅などは人により中毒する人としない人とある。それは身体中がデキ物だらけとなり、梅毒のようになる。それで梅毒の名称があると言われている。」 (「講話集補」
S24.6.29.)