C-⑧ 心臓性神経衰弱

 

 

⑱-1,腰の曲る原因

 

「(中略)故に若くして胸を張れないものや年とって腰の曲るといふ原因は、悉く尿毒が背部又は腰部に固結するその為である(中略)」     (「腎臓医術と若返り法」明医二 S17.9.28)



「(腰が曲り始め、最近ではくの字に曲り働いています、時々腰に痛みを覚へ浄霊中

 

 腎臓の毒素が腰へ固まったもの。或程度治るが元々にはどうか。長年であるから。早いうちなら何でもない。」

 

                (「講話集補」 S25.5.16)




   ⑱-2,手の振るえる原因


「これは腕のつけ根の辺に毒の固りがあって、力を入れようとして神経を集中すると震へるんですよ。こういふのはよくありますね。そして焦れば焦る程却って震へるんですよ。首から肩、腕のつけ根にかけて浄霊すれば治りますよ。」 

 

              (「御光話18号」  S24、S25?)



肩の辺に毒の塊がある。力を入れようとすると、神経を集注すると動く。」    (ペンを持つと手震う 講話集補S24.5.21)




   ⑱-3,腰 痛


腰痛は腎臓、腰は熱をもつと重い。注射の毒もよく溜る。」

 

                   (御講話  年月不詳)



「(下り物が月に二回づつあり、腰が痛む

 

 腎臓の尿毒が腰に溜って降りる。(白帯下)必ず腹膜がある。沢山ある。暇がかかる。腎臓を浄霊する。」 

 

               (「講話集補」  S24.11.16.)




   ⑱-4,怒りを押える急所


「(中略)抑々、人体の中央にある鳩尾は、昔から中腑と言われる程重要な部分である、よくが中心というが、之は腹部の中心であって、勇気とか胆力とか、決断力というような意志の中心である、よく肚が出来ているとか、太っ肚だとか、肚が据っているとかいうのは、其意味である、然し私が常に言う、前頭部は智慧、記憶等の理性を掌り、後頭部は喜怒哀楽等の感情を掌り、肚は右の如くであるとしたら、此三位一体的総合された結晶が、前述の如く人体の中腑である以上、怒りの場合もやはり此部へ想念が集中するのである、何よりも怒った時、鳩尾部に何か結ばれた塊りのようなものが感じられる、之は誰しも経験する処で、又腹が立つという言葉も腹にある棒が立って棒の頭が鳩尾に当る訳である、それは兎に角、腹の立った際鳩尾部を浄霊すると、間もなく塊りが溶け結んだ紐がほどけるような胸がひらけて何とも言えないいい気持となり、段々心が軽くなって、怒った事が恥しいようになるものである(中略)」          (「怒りを克服する」  S26.5.30)




   ⑱-5,気分や気持の悪い時


「(中略)腹とかを押さえた時に、後気持が悪いことがあるでしょう。その時は、鳩尾(ミゾオチ)を浄霊するときっとなおります。それで前頭部鳩尾天地になってます。私もやっぱり腹も立つし気持の悪い事がよくありますが、そういう時は鳩尾を浄霊すると必ずなおります。やはりこれが頭に関係あるのです。これが始終モヤモヤしていると、頭もやっぱり面白くなくなるのです。そうすると精神病やヒステリー的の事が起りやすいのです。(中略)これは非常に肝腎な事です。」       (「御教集21号」  S28.4.6)




   ⑱-6,疲れる原因(疲労)と倦怠感


     〔疲れる原因(疲労)〕


「(中略)よく疲労をやかましく言ひますが、之も吾々の説は異ふのであります。吾々の方では、運動に因る疲労は非常にいい。例へていへば草など陽にあたると一時はだれるが、一晩越すととても威勢が良くなる。それは疲労したやうに見えるのは疲労ではなくて、一晩寝ると元気が恢復する-それと同じであります。ですからどしどし疲労した方が健康が増すのであります。」

 

            (「栄養食に就て」療講 S11.7.)



「(中略)疲れとは微熱発生の為であり、微熱発生とは保有せる溜結毒素に対し労務特に激烈なる労務によって浄化作用が発生するのである。然らば保有毒素とは何か、いふ迄もなく予防注射等による薬毒の凝結及び感冒的浄化作用の抑圧による毒素溜積の二つが重なる原因である。右の如くである以上、此解決は容易である。それは薬剤を廃止する事と感冒に罹るやうにする事である。単なる此二つの実行によって国民の体力が増強するといふ事は何たる簡単な方法ではあるまいか。」

 

        (「生産増加の根本条件」明医二  S17.9.28.)



「(中略)茲で疲労なるものの説明をする必要があらう。即ち疲労とは運動の結果当然起る所の浄化作用の発熱の為であるから健康上疲労は良いのである。いはば浄化作用の促進方法である。医学に於てさへ健康増進の為運動を奨励してゐるではないか。然し、医学では適度の運動といふがそれは浄化作用の起らない程度をいふのであらうがそれでは効果が薄いので、実は浄化作用の起る程度が良いのである。

 

勿論発熱する事はそれだけの毒素が何れかの局部に存在するからでそれによって毒素は軽減するから可いのである。故に有毒者ほど発熱し易いから疲労するのである。此理に由って、運動によって疲労感を繰返すに於て次第に毒素は軽減し健康は増進さるるのである。滑稽なのは疲労の原因は過激な運動によって一種の毒素が発生するからだといふ学説である。

 

 右の理によって浄化作用旺盛者即ち発熱し易い疲労者は抵抗力強盛によるからである。(中略)」

 

              (「肺結核」明医一  S17.9.28.)



「人間が運動する結果として疲労する事は誰もが知る所である。之は何故であるかといふと、激しい運動や又は普通運動にても持続する場合浄化作用が発生するからである。それが微熱であるから、疲労時を診査する場合、腎臓部、腰部又は脚部に必ず微熱をみるのである。此理によって、運動をすれば浄化熱が発生する。それによって毒素が軽減するのであるから、疲労する程の運動は、健康増進に対し最も良いのである。

 

然るに医学に於ては右の理を逆に解して、過労を恐れるといふ訳である。勿論浄化作用の熱の意味を知らない医学としては無理もないであらう。(中略)過労は寧ろ健康上最善なる方法である事を知れば、能率の上に如何に大なる効果を及ぼすかを想ふのである。(中略)」

 

          (「過労及び倦怠感」結正  S18.11.23.)



「(中略)疲労感――之は発熱及び体力消耗による全身的衰弱の為である。」          (「結核問題」天  S22.2.5.)



「(中略)医師は疲労と睡眠不足を不可として戒めるが、之も間違っている。それは原理を知らないからで、疲労とは勿論運動の為で、運動をすれば足や腰を活動させるから、其部にある毒素に浄化作用が起り、微熱が発生する、微熱が出れば疲労感を催す、それが疲れである。併しそれだけ毒素が減るのだから結構なのである。何よりも運動を旺んに行い、常に疲労を繰返えす人は健康であるにみても判るのである。だから草臥れた際足や腰の辺を触ってみれば必ず微熱があるにみて、それだけ毒が溶ける訳である。」

 

            (「自然を尊重せよ」結革  S26.8.15.)