C-⑧ 心臓性神経衰弱

 

7-① 腎臓の重要性
本療法は一言にしていへば腎臓医術といってもいいのである。曩に詳説した如く病気の原因としては然毒、尿毒、薬毒の三種であるが、その三毒が最も作用する局所としては、腎臓に如くものはないのである。先づその順序を説いてみよう。

 

 人間が此世に生を亨けるや、先天性毒素として最も病原となるのは然毒であるがそれは先づ最初、背面腎臓部に集溜するのである。勿論、嬰児と雖も大抵はそうである。従而世間よくある起歩きの後れる幼児は、右の如きが原因であるから、それを治療する事によって容易に治癒するのである。

 

そうして人間は成人するに従ひ、腎臓部に三毒素溜結し、漸次固結が増大するので、その圧迫によって腎臓は萎縮し曩に説いた如く余剰尿が滲出し、右の固結に追増するのである。従而、腎臓は益々圧迫されるから、それだけ余剰尿の増加となり、愈よ固結が増大するのである。

 

其結果として余剰尿は漸次的に背部脊柱の両側に向って移行集溜し、尚上昇して肩の凝りとなり、頸部の周囲より頭脳は勿論、眼、耳、鼻、歯齦、咽喉部等に及ぶのである。又人により胸部の周囲、腕の付根、胃部、肝臓部、腹膜等にも及び、尚下降して脚部にまで及ぶのである。此場合勿論神経集注個所程集溜する事は曩に説いた通りである。

 

 斯の如く、腎臓障碍が原因となって、凡ゆる病原となるのであるから、何よりも先づ、背面腎臓部の固結を溶解除去しなくてはならないのである。斯うする事によって凡ゆる疾患は治癒に向ふのは当然である。(中略)此理によって、腎臓の活動を促進さす事こそ、凡ゆる疾患を治癒させ健康を増進させる唯一の方法である。

 

 故に、腎臓部の障碍が除かれ、活動旺盛となるに於て、幾多の好影響が表はれ始めるのである。その最も著しき現象としては若返る事である。少なくとも拾年乃至二拾年は若返るのである。それは如何なる訳かといふと、腎臓なる機能は尿によって体内毒素を処分する以外、ホルモンを製出するものであるからである。今日医学に於てホルモンを外部から注射等によって注入するが、之等は一時的効果に幻惑させるのみで、反って腎臓を弱らすのである。(中略)

 

 右の結果として、元気旺盛となるは勿論、爽快感が湧出し、楽天的となり、人生観は一変するのである。従って、怒り、癇癪、短気等の性格は消へ、親和協調的となり、愉快に仕事に従ひ根気が続くやうになるから、能率が非常に増進するのである。(中略)

 

私は常に想ふのである。日本人の腎臓が健全になるとすれば、先づ何よりも能率増進によって生産の増加となり、悲観や憂欝的人間が減少するから社会は明朗化し、人々は生活を楽しむやうになるのである。此意味に於て、此腎臓医術こそ、百万語のお説教にも勝る心身改造法であるといっても過言ではないのである。(中略)」

 

        (「腎臓医術と若返り法」明医二 S17.9.28)


本医術は、腎臓医術であるといふ事は、曩に説いた通りである。従而、施術の場合、頭脳、首、肩を治療し次に患者を俯臥(ウツブ)させ、左右の腎臓部を掌と手指を以て、毒素の多少を探査するのである。今日の日本人で、此腎臓部に毒素溜結のない者は一人もないといってもいいのである。そうして此毒素は有痛と無痛とあるが、無痛が多いのである。

 

そうして最も重要なる個所としては、脊柱と末端の肋骨との中間即ち三角形を描けば、その中心点にあたる所及その下方である。その部が柔軟で手指で圧して凹む位ならば良いのであるが、そういふ人は恐らくないのであって、大抵の人は広範囲に固結しており、甚だしきは反対に隆起してゐる人さへあるのである。

 

それは勿論、余剰尿の固結であるが、それが上方に向って脊柱の両側に移行しており、特に肩胛骨と脊柱との間に多量の固結があるものである。此固結は、胃に関係があるので、特に溶解すれば胃の活動を促し、食欲は増進するのである。従而、胃癌の患者に対しては、此固結溶解によって好結果があるのである。(中略)

 

 右の如くであるから、先づ腎臓部の治療を第一とし、肩胛骨部を第二とし、その他は第三の順位にすれば良いのである。又一般に、右側腎臓部の毒結が多いのであるが、左側のそれも重要である。但し、盲腸炎の原因は右側の萎縮腎である。

 

 そうして、腎臓部の毒結を溶解するに於て溶解毒素は腎臓内に浸潤し、尿と共に排泄されるのである。蛋白とは此溶解毒素であるから、此際尿中には、多少の蛋白がある事は勿論である。従而、腎臓部の毒素溶解するだけは、体内のあらゆる病患は、平均的自家浄化作用の発生によって、能く治癒するのである。

 

又、腎臓部の毒素溶解は、他の局部の毒結溶解が容易となる事は驚くべき程である。又、腎臓の完全なる活動は、全身的浄化力が頗る旺盛となる事である。

 

 故に私は、人間は腎臓さへ健康になれば、凡ゆる疾患は治癒すると共に、心身共に健全となり、幸福と長寿を得るのであるから、実に不可能とさへ想はれたる人類の理想が、茲に現実化したのである。故に、此腎臓医術の発見こそ、人類史上、空前の大発見であると、私は想ふのである。(中略)」

 

           (「本医術の施法」明医二 S17.9.28)


「(中略)腎臓部より下方に向って腰骨部まで毒結は移行してをり、特に腰骨に接触して毒結のある場合、多くは脚部に異状があるもので、之を溶解すれば、よく治癒するのである。(中略)」

 

           (「本医術の施法」明医二 S17.9.28)


「(中略)ゴルフ愛好者は、必ずといひたいほど腎臓疾患があるのである。之は勿論、腰に最も力を入れるからで、腎臓部に毒素溜結するのであって、私は治療時代、社会的地位のある人に多かったのである。(中略)」  (「スポーツ医学」明医二 S17.9.28)


「(中略)本療法に於ては(中略)外部からの施術によって先づ霊体が浄化され、それによって心の曇が解消し、否が応でも魂は覚醒する事になるのである。(中略)本療法は、疾患が治癒しながら不知不識の裡に魂が覚醒するのであるから、理想的心身改造法といふべきである。

 

 右の如く、霊的浄化を発生さすその根源としての機能が腎臓であるから、腎臓の活動を促進さす事こそ、心身改造の根本である訳で彼の神道に於ける祓戸四柱の神の活動が、人体に於ては腎臓に相応すると想ふのである。

 

曩に説いた如く心臓は日であり、肺臓は月であり、胃は土であり、天地間の汚濁を清める神が祓戸の神であるとすれば、腎臓は左右及び副腎と合せて四つあり、祓戸の神も四柱あるにみて、意味がないとはいへないであらう。」(「罪穢と病気」明医三 S18.10.23)


「(中略)人間が此世に生を享けるや、既説の如く先天性毒素としての然毒が、先づ背面腎臓部に集溜する。嬰児と雖も殆んどは背面腎臓部に相当の毒素を保有してゐる。幼児の起歩きの後れる原因もその為である。そうして人間は成人するに従ひ、然毒の凝結圧迫により腎臓は萎縮し余剰尿が溜結、何等かの病気発生となり、それの浄化停止の為薬毒を使用する。即ち以上三毒の圧迫加はり、腎臓はいよいよ萎縮する。

 

元来腎臓はホルモンの製出と、生理的残渣を尿によって排泄するといふ重要機能である以上、腎臓萎縮は全身的浄化微弱とホルモンの欠乏を促す。その結果としての老衰は免れ得ない。此理によって人間の元気旺盛なるは腎臓機能の活溌に因るのであるから人間の強靭なる健康こそ、全く腎臓の強盛に正比例するのである。

 

 腎臓が完全なる活動状態となるに於て、先づ全身が軽くなり挙措敏捷となる。頭脳は明晰となるから能率は増進する。仕事に当って倦(ウ)む事を知らず、且つ困苦に堪へ、万事楽観的となり、常に爽快感を保つから怒る事を厭ひ協調的となる故、人から愛敬され、成功者となる訳である。

 

 又婦人にあっては浄血の持主となるから著しく美を増し、不断の快感は接する人に好感を与へ、ホルモンの増加は著しい魅力を発揮する。故に夫婦は円満となり、家庭内の風波は起り得なくなる。又老年者と雖も先づ二十年は若返るであらう。其結果として普通九十歳以上の長寿者となる事は敢て難事ではない。(中略)」

 

           (「腎臓医術と若返り法」天  S22.2.5)


「(中略)腎臓は体内機能中、三大機能に次いでの重要なる役目をしてゐるもので、之は医学でも唱える如く、一旦腎臓へ集溜されたる液中から、貴重なるホルモンを抽出すると共に、廃物液体である尿は膀胱へ送られるのである。処が厄介な事には、腎臓が完全に活動されるとしたら右の通りであるが、実際上幼児から少年、青年、壮年と年を重ねるに従って、漸次働きが鈍るのが通例で其原因は腎臓が萎縮するからである。

 

では何故萎縮するかといふと、腎臓が前述の如く、必要なものと不必要なものとが分けられる場合、右の二者以外の異物が混る場合がある。此異物こそ言う迄もなく薬毒であって、之がどう処理されるかといふと、ホルモンにも尿にもならないので、腎臓の表皮を滲透して、背部腎臓面に浸出し僅かづつ溜るのである。

 

それが固結し腎臓を圧迫するから、腎臓は漸次萎縮し、ホルモン産出は減少する(不感症は此原因が多い)と共に尿の処理も鈍化し、其幾分は之も外部へ浸出するから、薬毒に追加され、両毒合併して毒結は愈々増大する以上、脊柱の両側に溜り上向延長しつつ、遂に肩や頸の辺迄及ぶのである。肩や首が凝るのは之であって、面白い事には此両毒結を判別する事が出来る。

 

即ち患部を押せば薬毒の方は固くて痛み、頑固性であるが、尿毒の方は稍々柔軟で殆んど痛みがない。そうして毒素は遂に頭脳内に迄進入するので、其結果浄化が起るそれが頭重、頭痛は勿論、脳膜炎、日本脳炎、脳脊髄膜炎、脳溢血等、凡べての脳疾患である。此頭脳内の毒素の有無を知るのは甚だ簡単で、頭脳に手を触れてみれば直ぐ判る。即ち少しでも温味があれば毒素のある證拠で、温い程毒素が多い訳だが、現代人で無熱の人は恐らく一人もあるまい。(中略)

 

 右によっても分る如く、最初に述べた寒冒の原因である肩から上に固結する毒素は、凡て腎臓が元である事は明かである。としたら寒冒も結核も肺炎も殆んどの病気は腎臓萎縮が原因である事が判ったであらう。処がそればかりではない。肋膜炎も、腹膜炎も関節リョウマチも神経痛も婦人病も勿論そうであり、カリヱスも、肝臓病も、黄疸も、糖尿病も、胆嚢、腎臓、膀胱内の結石も、喘息も、中風も、小児麻痺も、精神病もそうである。としたら実に腎臓萎縮を起さないやうにする事こそ、健康の第一条件である。(中略)

 

 此理によって、腎臓を完全に働かせる事が肝腎で、それには腎臓萎縮の原因である固結を、溶解除去すると共に、作らないやうにする事である。処が現在の如何なる療法によっても不可能であるが、独り本教浄霊によれば可能である(中略)」

 

            (「腎臓病と其他の病」文創 S27.)