7-⑨ 浄霊における諸注意
「(中略)これから浄化が強くなるに従って心得ておかなければいけない事は、なおりが早い事と、死ぬのが早い事で、そういうようになって来ます。とてもなおるまいと思うのが案外なおったり、まだ大丈夫だと思っていたのがポカッと死ぬという事が出て来ます。それで邪神の方では非常なあがきを始めますから、つまらない事でも問題にしようとして狙ってます。
そこでなおれば黙まってへこんでしまいますし、ちょっと命に関わるような事があると、それこそ"それ見た事か"というので、大いに取り上げたり、問題を起こしたりしますから、その点において特に注意してもらいたいと思います。(中略)
やはり一つの戒告ですから、やはり神様はその人だけの注意でなくて、やはりそういう見本を作って他の全部の人に知らせるという事です。ついこの間も"合理的でなくてはならない、理窟に合わなくてはいけない"という事を言いましたが、それほど危ぶなくて重態であるにかかわらず医者を呼ばないという事は、とんでもない事で、理窟に合わない事です。チャンと理窟に合う事をして居れば何でもなかったのです。
そういう事が問題になって新聞に出たりすると非常に悪影響をします。神様の御神業に対するどれほどのお邪魔になるか分りません。百のよい事を一朝にして覆えしてしまいます。又あれに出た事が非常に響きます。そういう事が入信者が増えるに対して悪影響するのが数字の上に実によく現われてます。
だからそれこそ、べつに命に関わらないような病人はよいですが、少し危ぶない病人は腫れ物に触るような気持で、神経過敏になってやらなければならないです。いくら一生懸命にやっても、そういう問題を起こしたら、今までの功名を抹殺して、まだもう一層余りあるというくらいのものです。それで"自分はとんでもない間違いをした、一刻も早く御詫びしなければならない"というような気持があるような人なら、そういう問題は起こりません。そういう問題が起こるというのも、今日も来ないというトボけた心の状態だから、そういう問題を起こすという事になります。
それから又渡辺さんが、こうして私が注意を与えなければならないという事は、あなたが平常から下の人にチャンと、そういう浄霊と医者関係に対しても注意を与え、教えるという事が疎そかだったのです。それに対しての神様の戒告です。それと共に、他の人の中にもそういう人があるから、これを一つの注意の資料として、今渡辺さんがその道具になったという意味にもなるのです。
だからそれによって渡辺さんの今の罪が、一つのよい働きをしますから、それで渡辺さんは罪を消されるというわけです。だから凡てが相応の理によって、理窟に合うという事になるのです。だから今後は、誰でも問題を起こさないようにという考えで居るには違いないが、一層問題を起こさないようにする事です。
それについて、今の話はそうでないようですが、一軒の中に反対者がある場合には余程注意しなければならないのです。今まで問題を起こしたのは、ほとんどそれが多かったです。医者にかかれと大いに言うにもかかわらず、かからないで死んだりすると、それ見た事かと、それを土地の新聞に投書するとか警察に投書するとかして問題が起こる事が非常に多いのです。
ですから一家の中に反対者があつた場合には医者にかける事です。そうしておけば、間違った時にも問題が起こりませんから、是非医者にかけなければなりません。今の弟の話なども、家の者は信仰にはいって居たからそうでもないが、周囲の者が言ったに違いありません。(中略)
それから一月の問題というのは何日の新聞ですか。
(5月29日頃でございます)
何と出てましたか。
(精神病がお祈りによって死んだというような事でございます)
精神病では死なないものですが、他に何かありました。
(非常に衰弱しておりました)
投書か何かあったのですか。何かなければ新聞社は分るわけがないでしょう。それなら新聞社にどうしてこういう記事を出したかという事を調べるのです。
これからますます浄化が強くなりますから、衰弱なども非常に早いのです。そうしてまだと思うような者がポカッと死んでしまう事がだんだん増えます。その代り、一方なおるのも早いです。だから大いに警戒しなければいけません。三つも問題を起こすという事は大変なものです。これが一番悪いです。これが御神業に対して非常なお邪魔になります。
つまりみんな邪神に負けるのです。負けるという事は、それだけタガがゆるんでいるのです。こっちがチャンと知って居れば、邪神のつけ込むスキがないのです。やっぱりこっちにスキがあるから先が打ち込むのですから、抜身の中に居るつもりで居なければ、何時抜身でやられるか分りません。しかしこれは薬になります。少しタガを締めてもらわなければいけません。
それでなにしろ御神業というものは千変万化ですから、これからはできるだけ医者にかけさせる方針にするのです。それより他にしようがありません。医者にかかる事と問題を起こす事はどっちが悪いかというと、問題を起こす方がずっと悪いので、医者にかからせた方がずっとよいのです。問題を起こさないという事が第一です。
ちょっと危ぶないと思ったり思うように行かなかったら、医者にかけるか、さもなければ手を引いてしまうのです。病気がスラスラとなおってしまうのはよいですが、どうもうまく行かないとか、スラスラと行かないのは、手を放すか医者にかけるかどっちかです。
ですから和戦両様の準備をしなければいけません。死んでも問題は起こらない、助かれば結構だ、というどっちに行っても問題は起こらないというやり方にするのです。これはあらゆる事がそうです。(中略)
昔から信仰というと小乗信仰が多いので、殆んど小乗信仰です。それで小乗信仰のために、つまらない事を心配したり、クヨクヨして地獄を作っているのです。小乗信仰というのは信仰地獄に陥るのです。天国というものは大乗です。苦しんだりいろいろする事は地獄に陥るのだから、つまり苦しまない事です。病人でもそうで、あの病人を助けなければならないと思うのは結構ですが、その心配のために地獄になります。
この間も相談を受けた事があります。精神病者ですが、どうしても助けたいと思っていろいろして、そのために気持が憂鬱になって、思案に余っていたわけです。それで私は"そんな事はわけない、すぐに病院に入れてしまったらよい"と言ったのです。それを病院に入れないで、どうしても治そうとするからです。そう言ったら、なんだか気がせいせいしましたと言ってました。
というのはつまりこの間も言ったとおり、救われる人と救われない人とが時節が進むに従ってだんだん決まってゆくのです。だから救われない人はかえって諦めた方がよいです。そのためにかえって救うべき人が救われないという事にもなります。だからいろいろな事が思うようにゆかなかったり、良くなったり悪くなったりする、というのは救われない人だから諦めた方がよいです。そういうのは医者にでも任して手を切るのです。そうしてスラスラとゆく人だけを助けるのがよいです。
ところが又そう決めてしまうと又間違ってしまいます。そこのところは臨機応変にやる事です。或る程度までは変化がありますが、原則をそこにおいておくのです。だから何時も言うとおり、楽しみながらやるようでなければ駄目だというのです。苦しみながらやるというのにロクな事はありません。という事は地獄だからです。
できるだけ救うという事は、一生懸命にやって或る程度までゆけば、そこで決めてしまうというのがよいのです。どこまでも救おうとするから、そのためにかえって骨が折れるし、又救われない、霊界行きの人はしようがないのだから、そうすればこっちも楽です。これはちょっといけないなと思ったら、そこのところはうまくやって、ピタッと断わらないで、恨みの残らないようにやるのですが、それも一つの智慧正覚がなかなかいります。
そういうように言うと、小乗信仰の人はピタッと決めてしまいますがそれはいけません。好感を失わないようによく話をして、"とても私にはお助けする事はできない"と言って逃げるとよいです。そういうのに限って親戚とか夫婦なら片方が反対して"医者にかかれ、かかれ"と言うに違いないのですから、"これはなにしろ家中の人がみんな賛成しなければ、その想念が邪魔するから、お宅の方で全部賛成して『是非』と言うなら私はやってやるが、反対する間はその想念が邪魔するから、もう少し時節を待ちましょう"といったような工合でもよいでしょう。そういう理由は沢山あります。又そういううまくゆかない人に限って反対があるものです。そうかと言って家中揃って縋る場合もありますが、それでもうまくゆかないのがあります。そういうのを逃げるのは難かしいです。
その時の事情によってうまく考えるのです。つまりそれが智慧です。そういうのは結局原因は薬毒で、薬毒の多い結果です。そのために衰弱してゆくのです。"なにしろ薬毒が非常に多いのだからそれをとるまでに体がもたない。だからその覚悟をした方がよい。けれどもただ苦しみをできるだけ無くしてアノ世行きになるなら御浄霊は結構でしょう。だからそのつもりでお医者にみてもらって、苦痛を軽くするという意味でみてあげる"と言うなら、どっちに行っても間違いありません。先方も、間違っても恨む事はありません。そういうようにやれば、こっちも別に心配にはなりません。信仰地獄に落ちる事はないから気楽なものです。
それから又そういうようにしてやれば決して問題は起こりません。問題の起こるのは必ず請合って逆にゆくという時に、その家の誰か反対者が、それみた事かと、それを投書したり、ひどいのになると警察に密告するという事があります。ですから今言ったようにやるのが一番よいのです。これからだんだん浄化が強くなるに従って、治るのも悪くなるのもだんだん早くなりますから危ないのです。今までなら、これはまだ大丈夫というのが、今後はいけない方ならいけない方に早く行ってしまいますから、それを心得て今言ったように要領よくやる事です。」 (「御垂示録21号」 S28.6.1.)