3-②-1、腫物について
「(中略)腫物の出来て腫れるのは活力があるからよいのであります。活力がなければ腫れ出る事が出来んから膿を取る事が出来ぬ。(中略)」 (「天照皇大御神」観講 S10.9.15)
「腫物には、瘍疔(ヨウチョウ)や其他結核性等種々あるが、大体は同一と見做して可いのである。それは腫物のすべては浄化作用によって、体内の不純物が毒血や膿汁となって一旦皮下に集溜し、腫脹し、皮膚を破って排泄せらるるのであるから、全く生理的自然作用といふべきものである以上、放任しておけば、順調に治癒するのである。(中略)
ここに注意すべきは、腫物に対し切開手術を行ふ事の不可である。それは折角集溜しつつあった膿汁は忽ち集溜運動を休めるのである。切開でなくも針で皮膚を破っただけでも集溜は停止さるるのである。(中略)勿論冷す事も、温める事も、膏薬を使用する事も不可である。」 (「腫物とその切開に就て」明医二 S17.9.28)
「(中略)次に病気発生の根原を闡明してみるが前述の如く人間は霊と体の二元的要素から成立してゐる以上、人間が生きて動いてゐるといふのは、霊と体が密合一致し、霊が体を動かしてゐるからである、そうして霊は人体と同様の形状をなし、霊の中心に心があり、心の中心に魂がある、この三者一体の活動が意志想念となって表はれ、此見えざる霊即ち意志想念が肉体の支配者であるから、霊が主で体が従となる、即ち霊主体従である、
之を判り易くいえば人間が手足を動かす場合、手足が自主的に勝手に動くのではない、意志の命令に従って動くのである、眼も鼻も口も人体全部悉くがそうである、病気と雖も此原理の通りで、判り易くする為、誰でも経験のある腫物を取上げてみよう。
腫物は最初小なる隆起が出来、それが漸次腫脹し、膨大し、赤色を呈し、発熱を伴ひ局部は痛み、痒み等の苦痛があるのが通例である、此現象は体内の毒素が自然生理によって排泄さるべき活動が起り、一局部へ集溜し発熱によってその毒結を溶解液体化し、排泄を容易ならしめる、それが自然良能作用である、又排出口を作るべく、皮膚をより薄く柔軟ならしめる、故に赤きは、透明状となった薄皮を毒血が透して見えるのである、それから間もなく小孔が開き忽ち液体毒血膿は瀉出し浄化が終るのである。
右は体の説明であるが、此際霊は如何なる状態であるかといふに、腫物そのまゝの一種の雲状を呈するのである、いはば曇りである、病気の重い程曇りは濃度である、右の如く曇りが霊の局所に集るかといふと、それが不断の浄化作用であって霊全体の曇りが一個所に集溜し、排泄活動が起る、それが病気である、勿論体の方とは密接不離な関係である。(中略)」
(「神示の医学 浄霊の原理 -第二-」 S24.5.30)
「注射するとよく足に腫物が出来ますよ。御浄霊で治ります。」
(光話六号 S24.4.23)
「(中略)足の腫物は薬毒がそこから出るのだから結構である。膝裏から腎臓部、右股の付根を押すと痛い固まりがあるから、そこを浄霊すれば治る。(中略)」 (「地天17号」 S25.10.15)
「(中略)各種の腫物であるが、之は手術をせず放っておけば、腫れるだけ腫れて自然に穴が穿き、そこから血膿が出て完全に治って了ふものである。処が患者は痛みに堪へ兼ねるので、医療は早く治そうとして手術するが、之が大変な誤りである。
といふのは手術にも時期がある。充分腫れてからなら左程の事もないが、そうならない内に行ふと、今迄一ケ所に集中してゐた膿は、其運動を止めて了ひ、他の近接部へ腫れ出すのである。之は手術処か、一寸針で穴を穿けた位でも、ヤハリ集溜が停止されるので、之は知っておくべき重要事である。
之に就て斯ういう例があった。以前私は頼まれて某外科病院へ行った事がある。患者は四十歳位の男子で、よく訊いてみると、初め頸部淋巴腺に鶉(ウズラ)の卵位の腫物が出来た。早速医者へ往って穴を穿け、膿を出して貰ふと、間もなくお隣へ同じやうな腫物が出来た、それを切ると又お隣へ出来る、という具合で、遂には反対側の方にも出来、それも次々切ったり出たりする内、遂には腫物の数珠繋ぎとなって、私を招んだのである。
そんな訳で外部には腫れる場所がなくなったので、今度は内側へ腫れ出した。恰度其時であったので、私と雖もどうする事も出来ず、断って辞したが、其後数日を経て、咽喉が腫れ塞がり、窒息死んだとの知らせがあった。之等は全く手術の為の犠牲者である。といふのは最初腫物が出来た時、放っておけば段々腫れて、恐らく赤子の頭位に大きくなったであらうが、それでも放っておけば、終には真ッ赤にブヨブヨになって穴が穿き、多量の血膿が出て、完全に治って了ひ、痕跡も残らないのである。(中略)」
(「手術」文創 S27.)