C-⑧ 心臓性神経衰弱

 

O,霊的原因による疾患                        〔狐について〕
「そうして狐は「本体」を暴露されると、騙す興味が無くなるのであります。よく狂人が、誰も居ないのに喋舌ったり、何もないのに吃驚して逃げる事などがありますが、それは其人の霊を占領し、他の狐霊と呼応して騙すのであります。人間の霊を段々占領すると、顔までが狐の如(ヨウ)になって来る事もあります。人間を巧く騙す程、狐の社会では名誉になるのであります。

 

 狐には、稲荷野狐との二種あって、稲荷は祀られた狐であり、野狐は謂はばルンペンであります。

 

此野狐は絶えず祀られ度くて策動してゐるのであります。日蓮宗の行者は、行を積むと狐が見える様になり、狐と交通する事が出来る。そうして野狐を招んでは、あの病気をお前が治したら稲荷に祀ってやると言ふと、狐は祀ってもらひたさに一生懸命に治すのですから、病気が治ると必ず祀らされるのであります。

 

 野狐でも稲荷でも非常に沢山居て騙すのが巧い程出世をするんであります。狐にも種々名前がある。日蓮宗の行者などはよく名前を付けます。眷族といふものも沢山居る。穴守稲荷などは何万と居る。之は多く花柳界を専門にやってをります。旦那を招ぶとか色男を招ぶなど巧いものであります。狐の偉い奴程騙すのが巧妙であります。

 

 東京では穴守と王子、関西では伏見などでありますが、穴守の方は花柳界へ、王子の方は一般的の方面に活動して居ります。豊川あたりの狐は生活に困らないので、割合悪い事は少い豊川の狐は金儲けが専門であるから、豊川稲荷の信者は、金は儲かるが-病気や外の不幸が多いのは事実であります。

 

 又南無妙法蓮華経を聞く程神通力が増すのだと、狐からよく聞いた事がありますが、御題目を唱へると狐が沢山集って来るのは事実であります。それらの為に、日蓮宗にはどうしても狐憑きが多く犯人が多いのであります。

 

 又狸は始末がわるく治りがわるい。之は一見して違ふので、狸の方はとぼけた滑稽味があり、超越してゐる所があり、非常に笑ひたがるのであります。

 

 狐は人間の頭脳を占領して踊らし面白がってゐるだけであります。又人間の生命を奪る事が好きで、実に簡単に自殺させる。そして、一人でも余計に殺せば名誉になり、仲間から偉いとされるのであります。人間一人殺す位は訳ない事で、汽車往生や三原山へ飛込ませたりするのも多くはそれであります。(中略)」

 

               (「精神病」療講  S11.7.)




日本の霊界に於ては、狐霊の活躍が最も甚だしいやうである。狐霊は好んで宗教を利用し、又は宗教に利用される事を好むものである。特に○○宗の行者などは殆んど狐霊を使ってゐる。狐霊なしではやってゆけまい。そうして病気治し、当てもの等は、狐霊の得意とする所である。然し病気治しは或種の病気に限るので、勿論憑依霊を狐霊が追出し、又は鎮圧する為治るのである。

 

然し、彼等は病気の治ったが最後、決して手を引かないものである。即ち治った御利益を利用し、漸次深みへ誘ひ、退引(ノッピキ)ならぬやうにするものである。故に、最初行者が狐霊を使ったのであるが、遂には狐霊が行者や患者を利用し、種々の欲望を遂げるのである。其様になった最後の窮極は、大方は精神病者たらしめるのである。

 

 元来狐霊は、精神病者たらしむ事を最も悦びとするものである。何となれば、万物の霊長たる人間を、自由自在に踊らせられるからである。狐霊にとってはこれ以上面白い事はないであらう。そうして狐霊が何故に○○宗に密接な関係があるかといふと、○○経の経文を聞く時は、狐霊の通力が増すのだそうである。このやうに狐霊は常に通力を増す事に努力して居るもので、人間を踊らせる場合、通力の強い程効果があるからである。

 

 よく行者輩が、病気其他人事に関する事をよく当てるが、それは如何なる訳かといふと先づ行者の前へ相手が座るとする。行者の命に応じて、常に行者の命によって働く狐霊は直ちに相手に憑依し、相手の頭脳中に侵入するので、通力によって相手の意念や考慮してゐる事を探知し、直ちに行者の霊中に入り報告するのである。そこで行者は「貴方は斯々の事があったでせう。」とか「斯々の事を想ってゐるでせう。」などといはれるので、生神様の如く信じてしまふものである。

 

 又、斯ういふ事もある。それは行者が相手に向って「何時頃、貴方には斯ういふ出来事があるから、気をつけなければいけない」などと云ふ。すると其言の如き事が出現するのでその的中に喫驚して了ふ。畢に帰依者となるのである。それはどういふ訳かといふと、最初予言する時に、狐霊一匹を相手に憑依させておくから、狐霊はその予言通りの事を行ふのである。此方法で成功し、生神様の如く信じられ、相当の繁昌をしてゐる行者に○○○市の○○といふ有名な婦人がある。

 

 狐霊には、稲荷の狐野狐との二種類がある。前者は稲荷大明神と崇められ、その眷属も頗る多数で、狐霊界の王者ともいふべきもので、その眷属と雖も人間にすれば立派な官吏、会社員、農工商等に従事してゐる公民である。

 

然るに右に引換へ後者の野狐は失業者であり、浮浪人であるから、常に食物や住居に困り、狐霊の社会でも下賎扱ひされてゐるので、早く稲荷に祀られるか又は眷属になる事を熱望してゐるものである。そうして人間に対し害悪を与へるのは野狐に多い事は勿論である。

 

然し乍ら、稲荷の狐でも良狐は稀であって、その殆んどは不良行為を好んで行ふものであるが、只だ野狐よりも不良性は少ないのである。そうして狐の中でも老狐ほど通力が強く、有名な稲荷神社の本尊は大抵数千年を経た老狐である。

 

 但だ狐霊の中にも特殊な老狐がある、それは人霊と同化した狐霊で、曩に説いた如き子孫の守護を主眼としてゐるものであるが、之等の中から選抜されて産土神の従神となり神命のまにまに活動してゐる狐霊もあるが、之等は全部白狐である。

 

 茲で、稲荷の由来に就て簡単に説示してみるが、その昔畏多くも天照皇大御神が豊葦原瑞穂国を、豊穣の土地となさしめ給はんが為豊受明神に命じて、四方の国原に稲を間配らせ給ふたのであった。豊受明神はその命を畏み多くの狐に命じ稲種を各地に蒔かせ給ふた。従而、稲荷とは稲を荷ぐといふ意味であり、又飯を成らせるから飯成といふ説もある。その功によって各地に神として祀られ、それぞれの土地の百姓の感謝礼拝の的となったのである。

 

之が稲荷の始まりであり、本来であるが、何時の時代よりか世の乱れと共に稲荷の信仰も紊れ、農事以外の事にまで祈願の目的が及んだのである。終には商人が商売繁昌や金儲けを願ひ、果は花柳界の人達が情事に関する事や、一般人が私利利欲の為の祈願をするやうになり、それに対し、稲荷明神の方でも、善悪無差別的に御利益を与へるといふ風になって今日に及んだのである。」

 

             (「狐霊」明医三  S18.10.23.)




すべて霊視能力は憑霊の為で、その殆どは狐霊である。狐が憑ると霊が見えたり、声が聞えるのである。精神病者は右の能力が顕著である。故に普通人がそうなる事は危険である。然し特殊の場合、一時的に見える場合は差支えない。始終見えるのは危い

 

 精神病者がよく空間を仰視(ミツ)めているが、之は医学では幻覚と言い、聞えるのを幻聴と言う。正守護神が見せる場合があり、その際狐を使う事もある

 

(狐は特殊の能力を持っているので、人間に知らす為よく守護神や人霊に頼まれる。巫女なども大いにそれがある。狐はとても頭がよく、どんな事を聞いても返事する。実にうまく何でも理屈つけるので、限りなく喋る。喋ってる時の理屈はとても人間も敵わぬ。こっちの話は全然聞かず、押付けるように喋るものである)」

 

               (「講話集補」年代不詳.)




「(狐霊憑依の女子、肉体から出たいが、最近霊界が明るくなった為出る所がないと言っていますが、・・・

 

 稲荷を潰した為に憑いたのなら祀ればよいが、そうでないとちょっと難しい。もっと放っておいた方がよい。未だ一家が救われるのは早すぎるからで、大きな罪が残っている。反対に邪魔されている時、神は防ぐのと、又反対にわざと邪魔させてその邪霊の執着をとり、悟るまで反対させる場合もある

 

とに角その家は救われるのに未だ早いので、焦るが、無理である。よく迷って信仰を断念する人があるが、斯ういう人はきっと又戻ってくる。私の弟子で十年遠ざかっていて最近戻って来たのがある。本当に正しいものなら神様の方が頭を下げる要はない。安っぽくなる。」           (「講話集補」 S23.11.16.)




38歳の娘、21歳頃より精神病になり、手当をしたが良くならず、その後、浄霊を頂き入信し御蔭様にて大変良くなりましたが、光明如来様奉斎致してより間もなく絶食の状態を続け、水だけ呑みますので医師の診察を受けた処、二日位の命と申されます。早速教会に御参拝、御願い致し、家に帰りましたら食事を軽くとりました。今は本人は絶命を願って居ります。如何なる因縁ですか、

 

 狐霊ともう一つ他の霊である。狐霊が自分の目的通りにしようとしたが、神様の為にそれが出来ない、といって長く憑っているから離れられぬので、遂に生命を奪ろうとしている。もう一息である。二、三年は経つであろう。其後三、四年は気長にする。御神書を読み、祝詞を奏げてやると早い。」 (「講話集補」年代不詳.)




「(28歳女性。精神病、六年前から月経のなかったのが、浄霊20日位で月経があり始めたのですが、又、家族全部眼病ですが、・・・

 

 家族全部稲荷のようなものが祟っているようだ。祀ってやればよい。月に一回午の日に油揚など上げて拝んでやる。祖先の代からの特殊の罪で、入信して人助けすれば治る。」

 

               (「講話集補」年代不詳.)