O,霊的原因による疾患
「病気の原因として、憑霊といふ事を知っておく必要があります。之を知らなくては解釈のつかぬ事が沢山出来て来ます。多くの場合、憑霊的病原は軽視出来ないものがあります。然し之を本当に知るには「霊覚」を持たなくてはならないし、といって又非常に誤られ易く、弊害も生じ易いので、先づ常識的に一通り知っておけばいいのであります。
之は、病気の説明の時にお話しますが、大体死霊、生霊、動物霊の三つに分ける事が出来ます。そうして、動物霊で多いのは蛇、狐、天狗、鳥類、犬、猫、馬、狸等であります。是等の動物霊が憑依して病気を起す事実で、例へていへば小児のヂフテリー及び喘息であります。
喘息の場合、病原である水膿溜結を溶解しても、咳が止まらぬ場合があります。そういふ時は、大抵猫の霊が憑いてゐるんであります。ですからそういふ患者は、鼻と口の間辺に霊光を放射すると、とても噎(ムセ)るんであります。然し、それによって霊は畏縮するから、実によく治ってゆくのであります。(中略)
次に蛇の霊も非常に多く、人体内では一、二寸位の大きさになっております。移動性の痛みは殆んど蛇の霊であります。又蛇の形の通り細長く痛む事もあり、とぐろ巻いた時は円く痛むのであります。
幽門狭窄症や食道狭窄などは、よく蛇霊が締めつけてゐる事があります。
胃癌を手術する為切開した処が、何もないので、周章てて元通り縫った-といふやうな話をよく聞きますが、之など全く蛇の霊であります。丁度、人間が蛇霊に飜弄されてゐる訳であります。
胃痙攣や嘔吐等の場合にも、よく蛇霊の活躍が原因である事があります。
又、以前馬の霊の憑った子供をやった事がありますが、之は、寝ると必ず手足を曲げて自動的に動かす、それが丁度馬が倒れて苦しむ通りの状態であり、其事を話したら、それっきり怒って来なくなり、終に死んでしまいました。
鳥眼などは鳥の霊が憑くので、又、鼻の病気、即ち、蓄膿、鼻茸、肥厚性鼻炎など、大方鳥の霊で、以前鼻の悪い人で、目白の霊が憑いてゐたので、それを祀ってやったら直に治った事がありました。不思議に鳥の霊は、鼻へ憑くのであります。
そういふ霊が原因の病気でも、浄化法をやれば治るので、それは病霊の曇が除れると、人霊ならば浄化し、動物霊なら畏縮するからであります。
其他、虫の霊などもありますが、やはり浄化法で治ります。水虫は微小なる虫群であり、発疹など蟻群や、其他の水虫群の霊などもよくあるのであります。」 (「病気と憑霊」療講 S11.7.)
「病気は浄化作用であるといふ事は詳細説いた通りであるが、茲に、霊に因る病気も相当多い事は軽々には出来ないのである。従而、専門の治療士は固より、何人と雖も自身の健康を保持し、家庭の平安を得んが為には、一応は知っておかなければならないのである。又、凡ゆる社会的及び人事的問題等を観察する場合、大いに役立つものである。(中略)
人間の死霊や動物霊に就ては、今迄の解説によって大体諒解されたと思ふ。故に、霊の原因によって発生する凡ゆる病気に対し、順次説いてみよう。」 (「病気と霊」明医三 S18.10.23)
「(中略)兎に角薬毒に気がついて徹底するのが一番肝腎なんです。(中略)病気の種類が増えるという事は、一寸考えると可笑しいんです。処が病気の原因が薬という事が分れば、何んでもなく分ります。つまり薬の種類が増えたから、病気の数が増えたんです。兎に角そういう様な工合で、何んの病気でも先ず薬を考えてみる。そうすると分ります。
よく信者の人なんかで、どうも治らない、しつこい、憑霊現象ではないか、何んの霊でしよう。と、よく聞く事があるが、それよりか薬毒の方がずつと多いんです。それからもう一つは、憑霊と言つても、そういう霊は悪霊ですが、悪霊が憑くのは頭が曇つている。曇つているというのは薬毒です。薬毒で曇ると、そこに霊が憑くんです。ですから憑霊を何うしよう斯うしよう、解決しようという事は気にはしなくて良いんです。それより薬毒を取つちやおうと考える。それが根本です。
精神病というと霊に違いないが、因(モト)は薬毒です。精神病は不眠になる。不眠が因という事は延髄に固りがある。延髄に固りがあるという事は薬毒です。だから、精神病でも何んでも、そういつた心の病気も全部薬毒です。そこで人間不幸の原因も薬毒なんです。だから薬を身体に入れなかつたら其人は仕合わせです。色んな災難なんかはないんです。霊が曇つているから、曇り相応の浄化が来るんです。災難というのは浄化です。そうすると薬毒で血が濁つているから霊が曇るんです。
だからこの根本は薬を無くする事です。そうすると地上天国が出来るんです。だから浄霊というのは曇りを取る事ですよ。薬で逆に曇らせたのを浄霊で取るんです。ですから浄霊すると血を吐いたり、鼻血を出したり、下からくだつたりしますが、それはそういう訳です。」 (「御教集11号」 S27.6.26.)
「(中略)本副両守護神の外、正守護神なるものが常に守護してゐるのである。それは、祖先の霊であって、人が生れるや、それを守護すべく、祖霊中の誰かがその時の祖霊の重なる者から選抜されるのである。又霊が自己の任意で正守護神となる場合もあるが、之は大抵動物霊である。其際の動物霊は、初め人霊であって、龍神又は狐霊と化し、狐霊は稲荷に祀られて守護霊となるのである。龍神で守護する場合は、青大将又は白蛇となって守護する事が多いのである。
よく旧(フル)い家などに青大将が永く住んでおり、性質柔順で、何等人畜に危害を加へないものである。然るにその訳を知らない世人は、普通の蛇と思ひ殺す事があるが、蛇と雖も祖霊である以上、非常に立腹するのである。其結果祟る事がよくあるので注意すべきである。従而、青大将を殺してから、不幸や禍が次々起り一家没落するといふやうな例が、田舎などにはよくあるのである。」
(「守護神」明医三
S18.10.23.)
「(中略)そうして本病と雖も根本原因は萎縮腎であるから、腎臓部の治療を充分行ふべきである。狐霊の憑依する個所は前額部中央即ち眉と眉との中央部一二寸奥であるから、その辺に霊の放射を行ふべきである。又霊の種類とその場合によって憑依局所の異なる事がある。即ち狸霊は精神病の場合のみ頭部であるが、普通は胸部及び腹部の左側であり、龍神は腹部が多く人霊は重に頭部である。然し乍ら霊は伸縮自在であるから、人霊などは全身に拡充する場合と、縮小して一局部に居る場合とがある。之等は経験の積む程判り得るのである。」 (「精神病」天
S22.2.5.)
「(無嗅覚の憑霊個所)
局部的と全体的とある。局部的が全体になる事がある。頭へ来ると全体を支配出来るから憑くと同様に、鳥の霊が頭へ憑くと無嗅覚になる。鼻へ憑く事はない。」 (「講話集補」 S23.)
「(中略)どんな病でも、霊的のものは前頭部をする。斯ういふ場合は違ふ。蛇が憑いたのは身体中移動する。浄霊すると逃げる。これは局部である。中には食いつくのがある。之は頭だけではいけない。精神病、癲癇、小児麻痺等は頭を浄めればいい。(中略)」
(「講話集補」
S23.10.26)
「(憑依霊は副霊の働きの強い時に憑依する?憑依霊と先祖は関係ある?)
副霊が憑つている肉体へ別の副霊が憑るべく入ろうとして争う事がある。其際憑依霊同志が戦うので、人間の方はフラフラしたり、煩悶状態になるものである。そして前住の副霊が後入より弱い時は後の霊が勝つ事があるが、それは一時的で長い間にはやはり先住の副霊が勝つのである。
先に墓地に接近すると必ず病床に寝る人があつたが、之は死霊が憑くのである。又或松の下を通ると必ず死にたくなる所があつた。之も縊死の死霊がつくのである。狐などは臨時に憑いて人を殺したり悪事をさしたりする事が多いのである。そういう事のうまい程、彼等の仲間で巾が利くのである。祖霊は人間に何か伝える時など大抵は狐に委託するものである。」 (「教えの光」 S26.5.20.)
「(住居地周辺は、極めて暗き落着きのなき土地で、土地(二十四家)の中に精神病者六人あります。各家共盗難及び災難が非常に有ります。)
斯ういう所はよくある。霊界には曇った所と、曇りの少い所とある。人間が移動する場合、その人に相応した所へ行く。身魂の曇った人は、いくら良い所へ行こうとしても、良い所へ行けず、一所へ集る。徳を積んで磨かれてくると、その場所に居れなくなる事がある。
よく大火事で焼ける家があるが、之などもその人の曇の程度に相応している。之は眼に見えない話だが、非常に確実で絶対である。曇った所は霊の力が弱まり、思うように行けない。曇った所に当る。又、沼や池など埋めて家を建てる場合、龍神が気づかす為に、その土地へ災難を与える。(火事になる事がよくある)墓地跡などへ建てると、救われない霊がいて、墓場がなくなると居所を求める。大体此三つである。
曇った所にあたる半分か三分一の人間が、光明如来様をお祭りすればズッと少くなる。霊の力が弱まると思うように行けない。その御光で、邪魔するものも出来なくなる。先ず、信仰して徳を積む事である。」 (「講話集補」 年代不詳.)