O-② 肺 結 核
「(中略)結核は黴菌による感染ではなく誤れる医療と、今爰に説かんとする霊的原因の二つによるといふ事である。
そうして、結核発病に就て、或特異な現象のある事に気附かなければならない。それは何かといふと、例へば一家庭内に於て、子女の一人が結核によって死亡するとする。間もなく、その兄弟姉妹の誰かが結核に罹り、又死亡する--といふ具合に、次々罹病し死亡する。又夫婦の一方が結核の為死亡すると、暫くして残った一方が罹病し死亡する--之等をみれば、何れも感染としか思へないのである。
然るに、それを裏書するかのやうに、彼のコッホが結核菌を発見したのであるから、感染といふ理論が組立てられたのも無理はないと思ふのである。
然るに私は、右の如き次々発生する結核の原因は、霊にある事を発見したのである。そうして私が言ふ霊的作用とは左の如きものである。
即ち結核によって死亡した霊が霊界に往き霊界人となり、霊界の生活が始まるが、其際孤独に堪えない為、生前親しかった兄弟姉妹友人、夫や妻等を自分の方へ呼ばうとするのであって、その目的の為に憑依するのである。
然るに其場合、霊界人となっても病気は暫くの間以前のまま存続してゐるものであるから、憑依する以上結核症状となるのは勿論である。斯様にして、多くの者が次々現界から霊界へ転移するといふ事は全く恐るべきものである。
そうして死霊が憑依する場合、人間が元気旺盛であっては憑依し難いものであるが、心身共に疲労又は衰弱するに於て、憑依し易くなるものである。医学に於て心身過労し、抵抗力薄弱になると発病するといふのは、実は之等の原因による事もあるのである。従而、最初単なる感冒位であったものが拗れたる結果、相当衰弱した時憑依するものである。
右の様な説は信じ難いであらうが、確乎たる事実である事を私は明言するのである。それに就ての最も好適例をかいてみよう。
私は先年、私の妻が突然発熱、咳嗽、血痰等の肺患三期位の症状を起したのである。早速私が治療したが、頗る効果が薄い。二三日経ても症状は一進一退である。そこで、之は霊的ではないかと想ったので、憑依霊の有無を査べてみた所、果してそうであった。そうしてその憑依霊は、一年程前私が扱った青年の結核患者であって、終に死亡したのであるが、その青年は父親と二人暮しで、長い病気の為、金銭を費ひ尽し、赤貧洗ふが如き状態であったから、死後の追善供養など殆んど行はなかったのである。
従而、霊は霊界に於て孤独不遇であるから、私によって祀って貰ひたい希望で、私の妻に憑依したのである--といふ事が判った。そこで私は、準備もあるから明晩祀ってやる故、それまで此肉体が苦しむから放れて待ってをれ--と言った所、快く承諾し離脱したのである。離脱するや、妻はケロリとなし、何等平常と変りない状態となったので、私もあまりはっきりしてゐるのに驚いたのである。右の霊は、今でも私の家に祀ってある。
今一つの例として面白いのがあった。それは或花柳界の中年の婦人で、相当長い間咳嗽に悩まされ、肺結核の疑もあるといはれたので困って居った。私は頼まれてその家へ行き先づ患者に対した処、霊的原因らしく思はれたので霊査法を行ったのである。すると突然横に倒れ、手足を縮め狐其儘の形状をするのである。そこで私は査問を開始した処、果して狐霊の憑依であった。
狐霊の語った要領は次の如くである。即ち「自分は伏見の熊鷹稲荷の眷族であって、憑依の目的は、遊んで楽をして美食が出来るからだ」といふのである。私は『此婦人より以前に憑いてゐたのは何人か』と訊いた処、矢張り某花柳界の若い婦人で、医者は肋膜炎といひ、相当長期間病んで終に死んだとの事である。私は狐霊の悪行為を咎め速かに改心して去らなければ、刑罰を加へる事を申渡したので、狐霊は三拝九拝して去ったのである。去ると共に患者は夢から醒めた様な風で、病気は拭ふが如く治癒したのである。
其時、私は熟々(ツクヅク)思った事は、万物の霊長などと威張ってゐる人間が、狐霊などに自由に翻弄され、病苦に悩み、つひに生命まで奪はれるといふに至っては、あまりにも情ないではないか--と。」 (「肺結核」明医三 S18.10.23)
「結核の原因には、憑霊の場合も相当多いのである。といふのは事実に於て夫婦の一方が死ぬと、間もなく残りの一方が結核となり死ぬといふ事がよくある。又兄弟の内誰かが結核で死ぬと、其後次々発病し、症状も前に死んだ者と、殆んど同様である。酷いのになると、五人も六人もの兄弟が次々死ぬ事がある。之等を見ると、どうしても伝染としか思はれないので、医学が結核は感染するとしてゐるのも、無理はないのである。
処が斯ういふ例は病菌による感染はないとは言えないが、案外少なく憑霊による事の方が、殆んどと言ひたい位である。今之を詳しくかいてみるが、普通結核で死に、霊界に往って霊界の住人となるや、霊になっても引続いて結核患者なのであるから、病状も生前と些かの変りはなく苦しむのである。
処が病気で死んだ霊は言う迄もなく地獄界に入るのであるから地獄の苦しみが続くので、病苦の外に語る相手もなく、孤独で非常に寂しい為、相手が欲しくなる結果どうしても兄弟の誰かを、自分の傍へ引寄せやうとする。そこで憑依すれば、自分と同様結核となって死ぬのは分ってゐるから、そうするのである。何と恐るべきではなかろうか。
又其他にも斯ういふのがある。それは祀り方が悪いとか何か死後要求がある場合、それを頼むべく知らせようとして之はと思ふ人に憑依する。憑依された者は、勿論結核と同様になるので、普通人はそういふ事に気が付かず感染したと思ひ、医師も又そう言ふ訳で、散々医療を受け遂に死亡する(中略)」
(「結核と憑霊」文創 S27.)
「(急に結核的症状を起し、如何に浄霊しても余り効果なく、霊媒的素質のある者がいますので、其者に呼出して見ました処、やはり霊的にて、妻の三才の時、実母が他家に再婚して、其家で喉頭結核で死亡している事が分りました。
霊の希望としては、他家に再婚して居る関係上、妻の実家の祖霊の中に入れぬ為祖霊様にお願いして欲しいとの事でした。早速紙片に俗名を書き大光明如来様に御守護をお願し、仏壇に入れて御供え物をし、善言讃詞、御讃歌を奏げて祖霊さんにお願しました処、早速御礼に出て、今日唯今離れると申しました。すると家内もケロリとして平常になりました。右の場合、霊的と感じたら霊媒等を使つて呼出す事は宜しいでしようか。)
良かつたですね。之は霊媒を使つても構いません。結構です。霊媒でも悪いんじやない。良い事が出来れば結構です。この霊が早く救われますからね。そうすると、霊媒は良い事をした事になる。ものは使い様ですね。悪い事に使えば悪いし、良い事に使えば良いんです。
霊媒が居ないで霊的と思つた時には「私が云つた事が合つていれば、首を縦に振つて、違つていたら横に振つて下さい」と云う。そうすれば、口のきけない霊でも、それだけは出来る筈です。あなたは女ですか、男ですかと聞く。又最近亡くなつたのですか、古い時にかと云う。又それなら何年前ですか、と云うと、大体見当がつきます。
この質問のははつきりしてます。肺病で死んだので――祀つて貰いたいとすると、何処に祀つたら良いかと、段々やつていると分る。之は幸いに霊媒が居たから良かつた。病人の当人の状態になるんです。痰は憑霊の曇りです。だから憑霊も救われますからね。然し、痰は沢山あるから、少し位出ても大した事はない。その人の痰も幾らか出るが大した事はない。
こう云うのはお医者にかかると、分らないから散々やられて、霊の方も離れないですね。分らせるのが目的ですからね。処が、霊は之は駄目だ――どうも分らないと云う事が分ると、ある程度離れますが、肉体はもう駄目です。其の身体を医者が結核の二期とか三期とかになつているから、安静にしなければならない――注射をしなければならないと云う。
霊が離れても、医者につかまつた以上死ぬ迄やられる。之が恐いですね。霊的に救われると大したものです。霊が憑ると急激に重症になります。霊は死ぬ程の重症ですからね。同じ苦しみになる。不断達者で居ても、急に悪くなつて、間もなく死ぬと云うのがあります。こう云うのが多いです。」
(「御教集2号」 S26.9.18.)
「(死霊憑依の肺結核の治癒過程は――)
肺結核の場合体中何処からでも痰や咳が出る。殊に頭と股です。以前股だけやって肺病が治った事があります。これは体のあらゆる部分の毒は溶けると一旦肺に入り痰になって外へ出るからで、肺は丁度「ゴミダメ」の様なものです。医者はこんな事が判らないのです。肺結核なんか皆医者が製造するのです。だから大病院の近くは死亡率が高いですね。何だって物が停滞してゐてそこに湿気と温度があれば黴菌は湧くんです。だから肺病は全く自家発生です。死霊が憑いて間もないのはすぐ出ます。
先に私の奥さんに肺病の霊が憑き、突然肺病三期の症状を呈した。で、早速調べたら一年前に死んだ鈴木某で「祀ってやるから離れろ」と云った所、すぐけろりと治って了った事がありました。肺病が重くなり衰弱すると憑くので、兄弟の霊も憑き易いです。それは何故かといふと重病で血が薄くなるとそれだけ霊も薄くなるので死霊なんかゞ憑き易くなるのです。
死霊だと判ったら「今訊ねるから首で返事をしろ」と云って、「あんたは死んだ人ですか」「男ですか」「年は若いか(老人か)」「肺病で死んだか」等そうして調べたらよい。その場合患者は正座させておく。予め観音様に「只今から調べますから御守護を御願ひ致します」と御願ひし、患者に祝詞を上げてから調べるのです。
又供養するにしても仏を唯祀るだけではだめで、女中に仏壇へ食物を上げさせても仏は食べられない。やはり当事者が心をこめて祀る事です。」 (「御光話録」 S23.8.28.)
「(肺結核の霊的原因には猫と長虫があるとの事ですが、・・・)
関係ない事はないけど、そんなにはないですよ。霊的原因は兄弟が一番多いんです。一人死ぬと淋しいもんだからよく連れに来るんで、その為に伝染した様に見えるんです。夫婦の場合もありますね。親子もあるにはあるがこれは極く少いですよ。こゝにある猫は咳を出させますから、それが肺結核と間違へられるんですが、然しこの咳は本当の肺病の咳とは違ひますね。
それから長虫――之は蛇ですがね、蛇は肋間神経痛を起すんで胸が痛くなる、それを肺だといふんでせう。そう言った様な少し判断しにくいのは、ぢきに肺病だって言はれますからね。」
(「御光話録14号」 S24.8.23.)
「(肺結核で霊界へ行った人の肉親が、次々と同様の疾いになり霊界へ行きますが、・・・)
兄弟が多い。霊界へ行って淋しいんで呼びたいのである。霊はすでに死んでいるんで、死ぬ事は何とも思っていない。現界にいると同様の気持で、霊界では肉体を滅すのも大して重大と思はぬ。中には此方が良いと思ふ霊もある。継母に育てられてる息子を霊界から母が呼ばうとして喉を締めた例がある。
肺で次々死ぬのは皆これである。然し人を殺せばその霊もその罪により堕ちる。暫くは、傍へ執着によって呼ぶが、間もなく離れる。」 (「講話集補」152
S23.)
「(死霊憑依のための結核患者を御浄霊した場合の治癒過程は・・・)
憑いて間のないのはすぐ出る。実にはっきりしている。死霊が憑依せず、身体が弱ってから死霊の憑くのがあり、健康の時は憑けない。衰弱して血が少くなる――霊が薄くなる時憑けるのである。聞いて答えさす。霊に訊問する。観音様にお願いして査べる。」
(「講話集補」 S23.8.28.)
「(肺結核の霊的因縁を御教え下さい。)
霊的も多い。大抵は身体が弱った時に憑く。兄弟の霊が一番多い。霊界では淋しいのでどうしても呼ぶ。風邪等の何かの動機で身体が弱った時に憑く。すると肺病の通りになる。又、元気の時に憑く場合もある。此方に曇りがあるから憑く。霊が抜けるとすぐ治る。憑いて長くなると離れ難いが、憑いて間もないとすぐに離れるものである。」 (「講話集補」 年代不詳.)
「(結核再浄化、段々衰弱。生家で三人、私の方で七人結核で死亡してます。)
霊はお祀りを形式的にやってもちっとも有難がらぬ。だからお祀りしていいというものでない。霊の承知せぬ場合がある。
どれかの霊が憑っている。結核は必ず再浄化する。或程度衰弱を越すといけない。方々に固まっている。延髄に固まっている。見当違いを浄霊すると反って平均浄化が起って咳がよけいに出る事がある。」 (「講話集補」 S24.11.13.)
「(肺病、霊の障り)
光明如来様をお祭りすればよい。朝晩祝詞を奏げれば肺病の霊の障る事もなくなる。」 (「講話集補」 S .10.16.)
「(結核は霊的に如何なる関係にありますか。)
霊的からいふと兄弟の霊が多い。体的には医学で作る。之が多い。霊的の場合は次々死ぬ。以前滋賀県の校長で兄弟一人だけ残った人があった。霊界で淋しい為に次々連れてゆくのである。」
(「講話集補」 S .12.15.)
「(中略)兄の霊が憑いている。之を伝染というが、決してそうでない。執着が強くてなかなか抜けない。霊界にいると殺す事を何とも思わぬ。反って霊界の方がいいと思っている。
善言讃詞や御讃歌など詠んでやる。それによって殺すのが罪である事を自覚すると改心する。霊は人間の身体が弱ると憑く。身体が弱ると霊も弱る。衰弱した時に憑く。之は一番厄介である。」
(「講話集補」 年代不詳.)
「(御屏風観音様をお祀りし、位牌も整えました。最近また御浄化がはげしく息ぎれ呼吸切迫で身動きも出来ぬ様になりました。過去帳をしまってあるのではないかと尋ねますと、その瀕死の病人が苦しげに、頭で仏壇の方を示しながらしまってある。過去帳を祀ってほしいと申すので御座います。早速その過去帳を出しておまいり致しますと、スーッと楽になって間もなく息を引きとりました。)
光明如来様をお祭りしてないといけない。その家の霊界が明るくなれば位牌だけでよい。でないと祖霊も迷ふ。」
(「講話集補」
S25.10.16.)
《浄霊》
※ 心からの慰霊祭(祝詞、善言讃詞等)を始め、
死霊、憑霊等に対する対応、
※ 御神体奉斎し、御神前に寝かす。御教えを音読。