O-① 病気と霊
(中略)善言讃詞奏上の時は――之は良く祝詞の何を現わしている。天津祝詞――あれは浄め方が強いですから、そこで苦しい。善言讃詞の方はずつと柔らかい働きをするからで、それが良く現われてますね。(中略)」 (「御教集4号」
S26.11.11.)
「(中略)熱が出る――之は浄化と思つて良い。霊でも熱が出ますが、全然熱が出ないのは憑霊と思つて間違いない。そうして、こう言う病人は光明如来様の前に寝かせる様にして、良くお願いするんです。」 (「御教集5号」 S26.12.6.)
「(憑霊と問答を自由に出来ねば御浄霊施術上不完全ではないでしようか。又憑霊と問答なし得ることを体得するには・・・)
これは危ない事だ。憑霊現象は気を付けないといけない。弊害もある。憑霊に口きらせるとその人にいろんな霊がかかる。その結果精神病になりやすい。霊問答は誰もが好奇心をもつが、問答は求めてすべきものではない。
浄霊の場合先方から霊が浮いて出る事がある。そういう場合問答するのは自然であるから差支ない。そういう場合は霊の目的をきく。又動物か人霊かをきくのであるが、憑霊は大抵祭つてもらいたいような事が多い。其他狐がからかう事もよくある。そういう場合騙されまいと努めるよりは、馬鹿になつて騙されてやると却つて早く暴露する。」 (「霊問答は必要か」教の光 S26.5.20.)
「(霊的病気で、浄霊してもよくなりませんので無縁祭をしたら直ぐ治りました。浄霊で治らない時はこの方法でよろしいでしょうか。)
之は祀った方が早い場合がある。然しどれも之もそういふ場合があるとは言えぬ。浄霊だけで速く治る。
無縁でない霊が憑いてる時もあり、それを判らなければならぬ。神様は何かによってその場合は知らされる。判ったら祀れといふ事であるから祀ればよい。狐、龍神等もある。祀り方は、常識的に祀ればよい。すべて、霊と思ったら、祝詞を沢山奏げてやるといい。三度づつ一回にする。そうすれば大抵の霊は救はれる。」
(「講話集補」年代不詳.)
「(私の孫娘(三歳)は私が光明如来様にお参りして善言讃詞をお奏げしておりますと、外で遊んでいる時でも突然発狂した如く暴れます。又、先生に浄霊して頂きますと、眠っていてもすぐ目をさまし同じ症状になりますが。)
之は霊が憑いている。之は善言讃詞が怖いのである。どうせ悪い霊だが、狐のようなもの――外へ行っても判るのだから狐に違ひない。段々霊が萎縮してくるから焦らずにやる。暴れる時は一時やめる。時が経つに従ひ少しづつよくなる。早く治そうと焦ってはいけない。」 (「講話集補」年代不詳.)
「(私の実家では家族の者が狐使ひの信仰者に操られ、皆迷はされて居りましたが、最近長男(31歳)の外は皆気がついてよくなりましたが、長男のみは何等気づく事なく、漸次悪化して発狂状態となり、先祖の事と、先祖が信仰して居た石鎚大権現を口にし、皆を騒がせて居ります。その上、光明如来様や、御額を掲げる事を拒み、善言讃詞を奉唱すると益々暴力を揮って狂ひます。)
狐の親方であるから力がある。無理に早くよくしようとせずに気長にやる。イヤがる場合はやらぬ。次の間か何かで浄霊する。口の中で聞こえない程度に善言讃詞を奏げる。面倒みながら気長にやれば結局往生する。悪化しても長く続かぬ。峠を越すとズーッとよくなる。極く悪いのは大抵一週間位と思えばよい。」
(「講話集補」 S24.6.28.)
「(46歳男子、三年前より胸の病で、一時療養所にて養生して居た。現在自宅に。微熱あり、食事の時位は起きて居りますが便秘気味。主人は祖先の霊の事を頻りと気にし居り、信仰も従来種々やりました)
(中略)普通の浄化を間違った療法で治す為引延ばしたものである。祖先の霊を気にするのは、祖先の霊が助けてもらひたさに知らすのである。此信仰へ入ると、余計催促する。一日も早く光明如来様をお祭りする。そして信仰雑話を読む。音読するといい。霊界で聞いている。此信仰ではじきに救はれる。
精神病や変死などは非常に悪い。非常に苦しむ。地獄――当分精神病で気がつかぬ。その中段々光で救はれる。一人でも多く救ふと、その徳で早く救はれる。」 (「講話集補」 年代不詳.)
「(教修受けたものですが、私の次女(三歳)、先日過って屋敷内二坪程の用水に落ちて死去。水死霊はやはり地獄へ行くんでしょうか。この霊を救うには今後如何致せばよろしいでしょうか。)
普通は斯ういう事はなく、落つる所を助かるのが当り前だが、よほど訳がある。犠牲にしなくては罪の大きい塊が除れないというような理由――偶にはある。神様が急ぐ場合、一ぺんに罪の塊をとる場合がある。
特に夫の婦人関係の場合など、人間は表面のみ見ては判らぬ。霊を救うには人を助ける。その徳により罪が減る。自分の身内の者を救いたい救いたいと思うと救われない場合がある。
釈迦の時代、目蓮尊者が、母が救われぬ。彼は神通力があって、霊界を見ると、いくら自分が努めても救えぬ。外の人は救える。釈迦に聞くと、救おうと思うから救えぬと言う。そこで、自分は一切衆生を救うのが役というので、それに努め、一年ばかり経つと母もちゃんと救われた。
自分の身内とか祖先を救おうと思ってると反って救われぬ。先に、年とった女の娘と息子で、二人とも精神病で、娘を助けて普通になった。そして息子の方を助けようとした。それで治療士となりやっていたがはかばかしくゆかぬ。みると自分が一生懸命やっている(外の人はあまりせぬ)私は言ってやった。
治療する事は、目的は子供を救う為――それは本当でない。それで割合いおかげが少ない。多くの人を救わなくてはならぬ。大きな見地からやれば救われる。そして、息子が救われればやめようとする様子が見える――それでそう言った事がある。
兄の方は大反対で、浅野セメントへ勤めている。そして迷信として全然寄りつかぬ。弟は精神病で、医者へ行っても駄目である。それで、謝って頼むならやってやると――。
妹は治っても、寧ろ悪口を言う。息子は段々よくなった。それを自分の方で引取り役立たしめようとした。寧ろ只使ってるとした。そこで私もその弟を返した。その後北海道で弟が暴れた。そのうちに死んだ。」 (「講話集補」 S23.)
「(日頃から蛇を殺す事が好きな17歳男子、熱が高く三、四ケ月も続いてます。蛇と本人又は熱との関係は・・・)
蛇がその人に憑って熱を出すのは、その人に毒があるからである。人間に危害を加える霊が憑るのは、人間に曇りがなくては憑れぬ。人間に憑らるべき資格があるからで、それが浄化作用である。浄霊によると、蛇も毒と共に浄化される。浄霊して貰ってるとして、急所を外れている。毒の元へ当れば必ず幾分づつか良くなる筈である。
身体中で塊の固い所と、押して痛い所が熱の因となる。次に平均浄化が起るから、次の塊をやればよい。一番多いのは首の周り、延髄――大抵右の塊。肩のコチコチ。背中も多い。
肩胛骨の所、腎臓の下の横、股の淋巴腺――陰部に近い方、之が発熱の急所である。ここを査べれば必ず熱が下るものである。」
(「講話集補」 年代不詳.)
「(後腹が膨れ出し、目下は臨月同様で、苦痛は無く生米を食す様に・・・)
憑霊現象である。腹に蛇の霊がいるのであろう。それが生米を食う。光明如来様をお祭りしてある部屋へ寝かし、御浄霊はお腹と腎臓である。」 (「講話集補」 年代不詳.)
「(龍神、狐の鎮霊・・・)
狐はなかなか義理固いものである。祀ってやるととても喜ぶ。外を歩いてる時ちょっと叩頭してやるととても喜ぶ。
龍神を祀ってくれという場合、自分の肉体を通してこの神籬に憑るようと申渡し、鎮魂の姿勢に手を組むと、特に変化はないが、自然に手がその神籬の方へ行くものである。龍神の小さいのは、手は直ぐに離れるが、大きい長いのになると時間が掛る。霊が入ると自然に手が離れる。指は右手の指を下にする。龍神は人差指、狐は拇指から出るものである。
よく憑霊が脱けると助かると思うが、長く憑いた霊が抜けると死ぬ事がある。衰弱している身体などすぐ来る。又毒血でも或程度身体を支える力となっている。これを除るとガックリする。」
(「講話集補」 S23.6.24.)
「(主人は毎晩酒を飲み、月に三回程は人間が変った様に、私を殺してやると言って刃物を持っていどみ掛ります。どうすれば良いのか)
本人のみでなく妻にも罪がある。一生懸命主人が暴れて浄化してる理屈である。罪が減ると暴れる事が出来ぬ事となる。出来るだけ人助けして徳を積む。すると自分の霊が浄まるから、主人が暴行出来なくなる。気長に徳を積み、光明如来様にお願いする。酒乱の憑霊である。」 (「講話集補」 S24.2.16.)