D-⑩ 肋 膜 炎 〔化膿性肋膜炎〕
〔化膿性肋膜炎〕
「(中略)カリエスの膿は非常に多い人と少い人とあります。化膿性肋膜炎、化膿性腹膜炎なども之が原因であります。又腫物や痔瘻などもそうであります。此原因の又原因としては、人間の祖先の罪穢が霊的に脳の中枢へ流れて来、それが物質化して膿になるのであります。」 (「嗜眠性脳炎、脳膜炎、脊髄膜炎」療講 S11.7)
「之は湿性肋膜炎で水が溜るやうに、その個所に膿が溜るのであります。最初から膿が溜るのと、湿性肋膜が長引いて化膿性になるのと両方あります。普通、悪性とされてゐますが、吾々の方では、とても治りいいのであります。随分ひどいのも治るのであります。
「湿性肋膜が化膿性肋膜になり」又は、「本来の化膿性肋膜のその膿が、肺に浸潤して、痰になって出る」場合があります。此場合よく肺結核と診られるのであります。
以前三十位の婦人で、某大病院に入院してゐたんですが、私が行ってみると、背中へ孔を穿けて毎日膿を除ってゐた。そして断えず膿が出る。咳一つしても、息を一寸深くしてもダラダラと牛乳のやうな膿が流れ出るのでした。段々衰弱してゆくので、終に退院して私の方へ治療に来たのです。すると、傷口には「ガーゼ」が細く入れてある。そして其穴が塞がるといけないから-といふので、近日もう一個所大きく切る事になってゐたのであります。
その穴は、針の穴位になってゐたんですが、私の所へ来てからガーゼを詰めなかったので、翌日穴は塞がってしまった。その日治療に行ってみると、其婦人は御亭主の前で泣いてゐる。『何故泣いてゐるのか』と訊くと「実は、傷が塞がると、膿が頭へ昇って脳症を起し、生命がないとの事を聞いてゐるから、穴が塞がった以上もう生命がない」と絶望してゐるのであります。「それではもう一遍病院へ行って切ってもらったら-」と御亭主は奨めるけれど、「もう今更再び病院は嫌だ」と御本人は言ってゐる。それで私は『そんな事はない。外から膿を溶かせるから』と慰めた所-まあ、半信半疑で兎に角そのままになった。
そのうち段々具合がよくなって、食欲はつき、歩いて便所へ行けるやうになった。そして一週間程経ったらお正月で、お雑煮を三杯も喰べたのであります。そして一ケ月余りですっかり治ったのであります。これは化膿性肋膜炎でも、随分ひどいものだったのですが、今でもピンピンしております。」
(「化膿性肋膜炎」療講 S11.7)
(「肋膜炎」医試 S14類似.)
「次に、化膿性の原因は、脊髄カリヱスと殆んど同様であって、脊髄から膿が肋膜へ浸潤滞溜するので、その膿量は割合多量であって悪性に至っては、医療は穿孔排膿を行ひ、数ケ月又はそれ以上に亘って、毎日相当量の排膿があるのである。然し乍ら、最初からの化膿性もあるが、湿性が長時日を経て化膿し、化膿性肋膜炎になる事もある。
そうして無穿孔にて安静療法を行ふ医師もあるが、其場合時日を経るに従って化膿は漸次固結し、胸部は板を張りたる如くになり、此症状を診て医家によっては、肺が腐敗して無くなったといふが、之は誤りも甚だしいのである。
そうして斯ういふ症状は、大抵は左右いづれかの肺部であって、膿結した方の肺は、呼吸が不能で静止してゐるから、健全肺の方が二倍の活動をせねばならぬので、自然呼吸が大きく、困難である。此際背部から視る時、一方の肺は不動で、一方は強動であるからよく判るのである。然るに不動の方の膿結溶解を行ふや膿は喀痰となって、旺んに排泄し始め、徐々として呼吸を営み始めるのである。
之によってみても肺が腐敗して無くなったのではない事を知るであらう。以前、両肺が腐って駄目だといはれた患者を、私の弟子が治療し、今は全治し、健康で活動しつつあるといふ事実もある。そうして化膿性は、医療では殆んど不治のやうである。」
(「肋膜炎及び腹膜炎」明医二 S17.9.28)
《浄霊》
頭、肩、背面腎臓部、肋膜部(背部から見れば悪い方の肺は不動)