D-③ 肺 炎
「肺臓の下部即ちちょうど「乳の下」に当る個所、そこへ膿が溜る。即ち「痰」が溜るんであります。手をあてると「乳の下」だけが特に火のやうに熱いので、すぐに判るのであります。
症状は、喉がぜいぜいいって、咳と痰が非常に出る。熱は四十度前後であります。原因は浄化法の最も急激徹底したもので、要するに「風邪の重いもの」と思へばいいのであります。ですから、肺炎は寧ろ健康の人に起ります。つまり"健康だからおこる"訳です。
先づ、大浄化法が行はれる訳で――「風邪」の熱で溶解された-頸部及び肩部の膿が、胸部一帯に氾濫すると、其重味によって一旦肺の下部に溜る。そして尚も熱を以て溶解され、痰になって肺胞を通過して出るのであります。それで喘音のあるのは、肺に痰が滞溜してゐる為であります。右の方が鳴る時は右肺、左の方が鳴る時は左肺に痰があるのであります。
治療の場合は、乳の下の浄化をやればとても簡単に治るのであります。そして間もなく平熱になるのであります。肺炎を平熱にしよふとして、一時間位治療すれば一回でも治るのであります。
私は肺炎の患者を働きながら一週間で治した事があります。肺炎から喘息になる場合がよくあります。それは――肺炎の時、解熱剤を使用する為、溶け損ねた痰が下降して、喘息部に滞溜するからであります。
肺炎が拗れるのは、解熱法の為であります。肺炎の痰が溶解され損ねるから、外部へ排泄する力を失ひ、肺臓の中途で停滞するからであります。こういふ人は、非常にラッセルが聞えるので-肺結核の進んだやうに思はれる事がよくあります。此痰は、一旦浄化作用をされた痰ですから、非常に溶けやすいのであります。肺炎が治ったと思っても、未だはっきりしない人がある。そういふ人は「乳の下」がやはり熱い。そこに残ってゐる訳であります。
肋膜肺炎といふのがありますが、之はやはり、膿が下部へ溜ったのが溢れて、幾分肋膜へ滲出するからであります。之も治癒は非常に速かであります。小児にも多いんで小児肺炎といひます。」
(「肺炎」療講 S11.7)
「近来、肺炎は非常に殖えた病気の一つである。之は、非常に旺盛なる浄化作用であるから、虚弱者には少く、健康者に最も多いのである。此病気の原因は、感冒浄化作用停止によって累積溜結せる毒素が、急激に烈しい浄化作用が発るので、此毒素の大部分は肋骨及び肋間に溜結せるものである。
此浄化作用によって一時の浄化作用の高熱によって一時に溶解せる膿が、肺臓内へ浸潤し肺の下部(乳頭部より以下)に溜積するのである。然るに、その溜積せる膿汁を排泄するに容易ならしむる為、高熱は尚肺臓内に於て膿解作用が行はれるのである。
此際、肺の下辺部又は其背部に手を触るれば、火の如く高熱を感ずるにみて瞭かである。其際喘音が特徴であるが、それは肺臓内に滞溜する喀痰が呼吸の為に動揺する響きである。そうして、高熱によって溶解せる喀痰は咳によって排泄し治癒するのである。
然るに、其際医療は、湿布、氷冷、服薬、注射等を行ふ為に滞溜せる喀痰は、肺臓内に凝結するのである。此凝結作用によって呼吸困難が起るのである。何となれば、元来肺臓は必要なる一定量の空気を吸収すべきものなるに、滞溜喀痰の容積だけは肺の量が縮小される訳であるからである。
例へば、十吸ふべき空気量を三だけ減小されるから七だけしか吸収出来ない。従而、呼吸の回数を多くしなければ、必要の空気量が得られないのである。それが呼吸困難の原因である。であるから、此呼吸困難が持続する為、心臓が衰弱する為死に到るのである。」
(「肺炎」医試
S14.)
「(中略)肺炎で死ぬのは、肺の痰が多量にて肺下部に溜る。肺炎を湿布などにて固めるため痰が出ず呼吸困難となり、心臓を圧迫して死ぬのである。」 (「特別講習会御講話」 S15.4.2.)
「肺炎-肺の前面に溜る事と、後面へ溜る事あり。」
(特別講習会御講話 S15.11.9)
「(中略)肺炎の原因は全く感冒の再三の浄化停止が原因であるから、出来るだけ寒冒にかかるようにし、発病の場合自然放任をするようにすれば、肺炎といふ病気は人類から跡を絶つに至る事は勿論である。」 (「感冒と肺炎」自叢一
S24.6.25.)
(「病気の真因」明医一S17.9.28.類似)
「茲で結核に大関係ある肺炎に就いてかいてみるが、此病気は結核の原因と同様、感冒の際肺臓の内外に固めた多量の毒素に、猛烈な浄化作用が起るもので、つまり感冒の重いのと思えば間違いない。
そうして症状は人も知る如く、最初高熱が出て全身的倦怠感、節々の痛み、食欲皆無、頭痛等であるが、此病気の最も著しい症状は咳嗽、喀痰、喘音で、特に喀痰が頗る多量に出るが、勿論之は固結した多量の毒素が高熱によって急激に溶解され、肺臓内に引っきりなしに浸入するからである。
従って苦しくとも少し我慢して、其儘放っておけば、痰は出るだけ出て一週間位で治り、予後は大いに健康を増すと共に、再発の憂いはないのである。処が之に未知な医学は、折角の浄化活動を停めようとして、凡ゆる手段を行う。特に此病気には強い薬を用うるのは医師も知る通りで、之は全く猛烈な浄化を抑えんが為である。
此様に猛烈な浄化に対し、強烈な薬剤を用いるので、激しい摩擦が起り、非常な苦しみと共に、高熱、咳嗽、食欲不振等が執拗に続くので、愈々衰弱が加わり生命に迄及ぶのである。又此病気が青壮年に多いのも、浄化力が強いと共に、年齢の関係上薬毒も相当多量に入っているからである。(中略)」
(「肺炎と肋膜炎」結信 S27.12.1)
「(中略)寒冒に罹った場合、右の如く薬毒や其他の方法で、浄化停止を行ふ以上、保有毒素の幾分は減るが、大部分は残存し、再び固まって了ふと共に、新しい薬毒も追加されるので、寒冒に罹る毎に毒素は累加し、或程度に達するや、一時に浄化活動が起る。それが彼の肺炎で前項に説いた借金の理である。
何よりも肺炎の特異性は、喀痰が肺臓内に多量に溜る事で、其為喘音が甚だしいのである。喘音とは呼吸の度に肺胞が動くにつれての喀痰の響きである。又呼吸困難は喀痰多量の為、肺臓内の容積が縮小するから必要量の空気を吸ふには、頻繁に呼吸しなければならないからである。
此理によって肺炎の場合、何等の療法もせず、自然にしておけば痰は出るだけ出て順調に治るのである。処が医療は凡ゆる手段によって浄化を停止させやうとする。何よりも肺炎に対しては医療は特に強い薬を用ひる。それは毒が強いからで、浄化停止に強力だからである。
そんな訳で強い浄化と強い浄化停止とで、猛烈な摩擦が生じ、非常な苦痛が伴ふ。其為食欲減退、高熱による体力消耗等と相俟って、衰弱死に到るのであるから、医学の誤謬たるや言うべき言葉を知らないのである。右の如く肺炎は強烈な浄化である事は、体力が旺盛であるからで、体力の弱ってる人は浄化が緩慢に発る、それが結核である。(中略)」 (「肺炎と結核」文創 S27.)
「(中略)次に麻疹の際肺炎を併発する事がよくあるが之は何でもない。只呼吸頻繁の為驚くが、之は麻疹が肺胞に表はれ肺の容積が減る為で、其儘にしておけば二、三日で必ず治るものである。」
(「肺患と薬毒」文創 S27.)
「(中略)肺炎になるや、非常に呼吸が急(セワ)しく苦しそうなので、周囲の者は驚くがこれは何でもない。そのままにしておけば、精々二日か三日で治ってしまうのである。というのは肺胞にも麻疹即ちブツブツが出来るからで、ツマリ肺の容積がそれだけ減るから、呼吸を頻繁にしなければならないからである。」
(「麻疹なんか何でもない」 S28.4.22.)
(「麻疹とその手当」 S25.3.25.類似)
「肺炎は背部の場合もよくある。肺炎-肩の場合あり。」
(御講話 未 年月不詳)
「(肺炎を繰返し、其後次第に目が見えなくなり現在二人脳膜炎の様な症状・・・)
肺炎は良い浄化ですからね。肺炎と言うものは、痰になつて皆な出るんですからね。それを、痰を出さない様にする。その時に熱がありますからね。頭を氷で冷やした。そこで頭の毒が固まつてそれで視神経を妨げた。それで、見えなくなつて脳膜炎になつた。頭の中に毒を固めたんです。頭を良く浄霊すれば治りますよ。」
(「御教集1号」 S26.8.28.)
「(中略)無熱性肺炎は霊が憑っている。」
(「講話集補」 S23.8.12)
「肺炎になった時、耳の聞えなくなるのはよくある。肺炎の痰は耳下腺へ集る。」 (「講話集補」S24.11.8.)
「(無熱性肺炎に就て・・・)
熱があるから肺炎で、ないのは肺炎ではない。肺炎と似た症状で、熱の出ないのがある。浄化が変態的となり、毒が溶けるんでない。浄化も微弱で、熱が出ずに浄化する訳である。」
(「講話集補」年代不詳.)
「(中略)発熱を止め冷す。そして固める。身体のいい人は一ぺんに出る。之が肺炎である。」 (「講話集補」S24.1.26.)
「(中略)風邪を引かぬよう、風邪を止めるのが肺炎の原因で、肺炎の小さいものが風邪である。風邪を引けば結核も肺炎もなくなる。」 (「講話集補」 年月不詳)
《浄霊》 肺の前面及び後面(肺の下部「乳の下」に当る
熱のある個所)背部を主に、頸部、肩、
毒素の大部分は肋骨及び肋間に溜結