1、薬の害について
その他(酒、タバコ、栄養剤等)
〔お茶、酒、タバコについて〕
「(中略)飲酒之も飲まぬ方が良いのであります。酒は百薬の長などと言ひますが、場合によっては五勺か一合位はいいが、大酒は悪いに決っております。之は事実ですから、説明の必要はないと思ひます。
又煙草は吹かすのは可いが喫み込むのはわるい。吹かすのは鼻から香を吸って脳を刺戟するから頭をよくする。考へ事をする時など実に効果があります。世間頭の良い人で煙草を吹かす人が多いのは事実でありますから、頭の良くなりたい人は、煙草を吹かすと宜しいのであります。
運動は、如何なる病気でも、苦痛でない限りするほど良いのであります。」 (「栄養食に就て」療講 S11.7)
「(中略)茶はその人の体が必要とするんで好むのです。だから大いに飲んだらいゝですよ。煙草なんかは癖ですね、一つの。然し、之は必要ですよ、喫むと頭がよくなります。だから私は頭の悪い人には煙草を喫めと云ってすゝめるんですよ。何故かといふと鼻を刺戟するので鼻がよく通るんです。鼻と頭とは非常に関係してますからね。子供の鼻なんかも悪いと高くもならず、型も悪い。そういふのは又頭も悪いですね。これは御浄霊すればよくなり、高くなります。(中略)ふかして鼻から出すのがいゝです。(中略)」
(「御光話録3号」 S24.1.18)
「(中略)その人の身体の内部の必要上好む。煙草は兎も角お茶はそうである。
煙草は癖である。好むのは内部の器能が要求する。煙草は喫むと頭がよくなる。頭の悪い人には喫ますとよい。(吸うのはよく、呑み込むのはわるい)子供でよく口を開けっ放しのものがあるが、斯ういうのは鼻が高くならぬ。馬鹿面している。鼻が悪いと頭が悪くなる。鼻と頭は関係がある。」 (「講話集補」
S24.1.18)
「吹かすのはいい。のむのはあまりよくない。のみ過ぎは何でもいけない。のみ過ぎぬ程度にのむのはいい。考える時一服やろうというのは自然にそうなっている。文化生活をする時代になって、頭を良くする為神様が造られたものである。」
(「講話集補」 S24.2.27)
「頭が良くなる。頭の悪い人には奨励している。のんではいかぬ、吹かすのはいい。鼻は前頭の中心である。(煙草を喫ふと)未成年者はたしかに発育が止まる。
(味噌汁を飲めばニコチンは消へると言ひますが)
味噌汁はよく知らぬが、よからう。煙筒(キセル)を掃除する時、味噌汁を入れると早く除れるからであろう。」
(「講話集補」 S24.10.3)
「煙草を吸ふと鼻を刺戟し、前頭の働きがよくなる。」
(御講話 年月不詳)
〔栄養剤、ホルモン剤等について〕
「(中略)(ホルモン剤は)周知の如く疲労症や性欲減退、子宮発育不全等に多く用いられるが、(中略)ホルモン剤の効果は一時的で、その後は濁血者となり、病原保有者となる訳である。」
(「ホルモン」
S24.8.20)
「(中略)今日栄養剤として先づ王座を占めてるビタミンA、B、Cを初めアミノ酸、グリコーゲン、含水炭素、脂肪、蛋白等を主なるものとし多種多様なものがあり、ビタミンの種類が年々増加しつつあるのは衆知の通りであるが、之等を服用又は注射によって体内に入れるや一時的効果はあるが持続性はない。結局は逆効果となるから栄養剤を服めば服む程人体は衰弱するのである。
之は如何なる訳かといふと、抑々人間が食物を摂取するといふ事は、人間の生命を保持し生活力を発揮させる為である事は今更説明の要はないが、此点の解釈が今日の学理は実際と喰違ってゐる。
先づ人間が食物を摂るとする、歯で噛み食道を通じて胃中に入り次いで腸に下り不要分は糞尿となって排泄され、必要分のみを吸収するのである。此の過程を経る迄に肝臓、胆嚢、腎臓、膵臓等凡ゆる栄養機能の活動によって血液も筋肉も骨も皮膚も毛髪も歯牙も爪等一切の機能に必要な栄養素を生産、抽出、分布し端倪すべからざる活動によって生活の営みが行はれるので実に神秘幽幻なる造化の妙は到底筆舌には表はせないのであって、之がありのまゝの自然の姿である。
右の如く、人間が生を営む為に要する栄養素は総ゆる食物に含まれてをり、食物の種類が千差万別であるのもそれぞれ必要な栄養資料となるからであると共に、人により時により嗜好や量が異ったり、又種類が同一でないのは受入れる体内の必要によるからである。
例えば腹が減れば物を食ひ、喉が涸(カワ)けば水を飲み、甘いものを欲する時は糖分が不足しているからで、辛いものを欲する時は塩分不足の為である。という訳で人間自然の要求がよく其理を語っている。何よりも人間が欲する場合必ず美味いという事である。故に薬と称して服みたくもない不味い物を我慢して食う事の如何に間違っているかが判るのである。
昔から「良薬は口ににがし」などという事の如何に誤りであるかで、にがいという事は毒だから口へ入れては不可ないと造物主が示しているのである。此の理によって美味である程栄養満点であって、美味であるのは食物の霊気が濃厚で栄養分が多い訳である。新鮮なる程魚も野菜も美味という事は霊気が濃いからで、時間が経つに従い味が減るのは霊気が発散するからである。
茲で栄養剤に就て説明するが、抑々体内の栄養機能は如何なる食物からでも必要な栄養素即ちビタミンでも何でも自由自在に恰度必要量だけ生産されるのである。つまりビタミンの全然ない食物からでも栄養機能の不思議な力は所要量だけのビタミンを生産するのである。此様に食物中から栄養素を生産するその活動の過程こそ人間の生活力である。早く言えば、未完成物質を完成させるその過程の活動が生活に外ならないのである。
此理に由って、栄養剤を摂るとすれば、栄養剤は完成したものであるから体内の栄養生産機能は、活動の必要がないから自然退化する。栄養機能が退化する以上、連帯責任である他の機能も退化するのは当然で、身体は漸次弱化するのである。(中略)」
(「栄養の喜劇」自叢十 S25.4.20)
「(中略) 今一つ栄養学中最も間違ってゐる一事は彼の栄養注射である。元来人間は口から食物を嚥下し、それぞれの消化器能によって、栄養素が作られるやうに出来てゐるのに、之をどう間違へたものか、皮膚から注射によって、体内へ入れやうとする。恐らく之程馬鹿々々しい話はあるまい。何となれば其様な間違った事をすると、消化器能は不要となるから、退化するに決ってゐる。即ち栄養吸収機能が転移する事になるからである。先づ一、二回位なら大した影響はないが、之を続けるに於ては非常な悪影響を及ぼすのは事実がよく証明してゐる。」 (「栄養」文創 S27.)
「(中略)今一つの誤謬をかいてみるが、現代人は昔の人間に較べると、栄養不足処か栄養が多過ぎる位である。即ち栄養とは人体機能が作るものであるから、栄養過多だと機能が鈍って了う。此理を一層徹底すると斯うなる。即ち栄養食や栄養剤は謂わば完成したものであるから、機能活動の余地がない事になる。
従って未完成な物程活動の必要が多いから、相互関係にある他の機能も活溌となり、健康は増すのである。という訳で人間の生活力とは機能の活動から生れるもので、空腹になれば弱るにみても明らかである。彼の美食家は弱く、粗食家は健康であるのもそれである。故に結核患者と雖も、寧ろ菜食を多くした方がいゝ(中略)」
(「栄養」結信 S27.12.1)
「栄養といって近頃ビタミンを多く使用するようになったのは、医学の無智とは言い乍ら困ったものである。いつもいう通りビタミンでもどんな栄養剤でも飲めば飲む程、反って体力を弱らすばかりである。というのは体内の機能は、必要な栄養は何でも自ら製造するように出来ているからである。従って栄養剤を飲めば機能の働く余地がないから、退化するのは当然である。(中略)」
(「逆栄養」結信 S28.5.6)