⑦-1,血液の濁りからの場合 (黴菌の発生)
「人間が病気に罹るとする。(中略)薬を服むと軽くなる。丁度、薬によって病気が治るやうにみえる。然し、度々言った通り、薬と称する毒を服んで全身を弱らせる。弱らせるから浄化作用が弱る。苦痛が軽くなる-といふ訳である。処が、それだけなら未だいいが、その服んだ毒は如何なるであらふか、それが問題なのである。
茲で説明をしておくが、人体には毒素を嚥下すると、解毒又は排毒作用が行はれるやうになってゐる。然し、毒といっても殆んどが食物の毒である。であるから、人体内には、食物だけの解毒作用の力はあるが、それ以外の毒素の即時解毒作用の力はないのである。であるから、食物以外である所の薬毒の解毒作用は全部行はれないので、或程度体内に集溜する。それは矢張り天然痘毒素の場合と斉しく、神経の集注個所である。
故に、斯ういふ理屈になる。陰性天然痘毒素の溜結が浄化排除作用が起った時、それを止めて新しき薬毒を加へる-それが薬物療法の結果である。従而、今度は二元的毒素となって溜結する。それの浄化作用が起る。故に、第一次浄化作用より、第二次浄化作用の方が毒素の加増によって悪性なのは勿論である。故に、第二次浄化作用即ち再発の場合は初発より押並べて悪性であるのは、此理に由るのである。(中略)」 (「薬剤の毒(二)」医試 S14)
「(中略)そればかりではない、硫安の如き化学肥料は劇毒薬であるから、それを吸収した米を食うとすれば、自然人体も影響を受け、健康に悪いのは勿論である。それは血液が濁るからである。何しろ主食は一日三度宛、年が年中食っているとすれば、仮令僅かづつでも積りつもって相当の毒分となり、之が凡ゆる病気の原因となるのである。
茲で伝染病の真因を簡単にかいてみる必要がある。抑々伝染病とは細菌の侵入によって発病するのは誰も知っている。然し乍ら何故、細菌が侵入すると発病するかの理由は判っていない。又細菌侵入するも発病者と未発病者とが出来る訳も医学では未だ解っていないのである。
此意味は以前出した私の著書に詳しく記いてあるから茲ではザット説明するが、黴菌とは、血液の濁りの原素である微粒子を食物とし、それを食ひつつ繁殖するのであるから、菌の食物を有している人は発病するが、無い人は菌は餓死するから発病しないという訳である。
右の如くであるから、発病者と未発病者とが出来るのは勿論菌の食物の有無によるのである。又保菌者といって菌があっても発病しない人があるが、之は菌の食物が発病する程の量もなく、そうかといって死滅する程少なくもないという言はば中間状態である。とすれば、濁血者は発病し浄血者は発病しない事になるから、化学肥料の如きは、血液を濁す事甚しいので、近来伝染病や、結核の如き、細菌による病人が殖えるのもそれが原因である。(中略)」
(「虫害」自解 S26.1.15)
「(中略)では薬が何故毒物であるかというと、抑々人間が口へ入れるものとしては、造物主が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたのが食物である。そうして食物にも人間が食うべきものと、食うべからざるものとは自ら別けられている。即ち食うべきものには味を含ませ、人間には味覚を与えられているのであるから、人間は食いたいものを楽しんで食えば、それで栄養は充分摂れるので、これだけを考えても造物主の周到なるは分る筈である。(中略)
右の如く人間の体内機能は、食物として定められた物以外の異物は、完全に処理出来ないようになっているので、薬は異物である以上、含まれている栄養分だけは吸収されるが他は体内に残ってしまう。これが薬毒であって、しかも厄介な事にはこれが各局部に集溜し、時の経つにつれて固結してしまう。(中略)」
(「病気とは何ぞや」ア救 S28.1.1)
「(中略)そうして医学は結核に限らず、凡ての病原を黴菌感染の為としてゐるが、実は菌なるものは、毒素が古くなれば自然発生するもので、之が物質の原則である。而も体温といふ好条件が拍車をかけるに於てをやである。然し感染しない事もないが、それは問題とはならない。要は無限に自然発生する事である。此菌に就ては後に詳しくかく事となる。」 (「浄霊の原理」医革 S28.)
「(中略)茲で菌に就て徹底的に説いてみるが、医学に於ては菌の感染を恐れ、菌さへ殺せばいいとして、全世界の学者は殺菌の研究のみに耽ってゐるが、此考え方こそ抹梢的浅薄極まるものである。(中略)何となれば菌と雖も突如として空中に湧いたものでもなく、何処からか飛んで来たものでもない。湧くべき理由と湧くべき根拠地があって湧くのである。
従って仮令菌だけ全滅させる事が出来ても、その根拠地即ち原地がその儘であるとしたら、無意味であるのは分り切った話である。では菌の発生原地とは一体何処にあるかといふ事が問題の根本であり、それが分ると共に、原地の潰滅も可能であるとしたら、茲に結核問題は解決するのである。(中略)
之を説くに当っては、先づ人間の霊に発生する曇りを知る事である。本来霊の本質は無色透明にして、最も稀薄な一種のエーテルである。此エーテルはその密度の高い事は、今日の顕微鏡の何百倍でも見る事を得ない程の超微粒子であって、それへ発生する曇りというのは不純水素の集合体であって、即ち純粋水素中に異物が混合してゐるのである。
では右の如き不純水素が何故発生するかといふと、之こそ濁血の霊化したものである。既記の如く人間は霊主体従であると共に、霊体一致でもあるからである。此曇りが日を経るに従ひ、或程度濃度化するや、それへ一種のバクテリヤが発生する。此バクテリヤの本質は植物性無機物であって、之が又日を経て有機化するので、之が即ち黴菌の幼虫であり、育って一人前になったものが顕微鏡で見得る菌である。
従ってヴィールスとは幼虫から菌になるまでの中間粒子であるから、顕微鏡では見得なくとも、確かに在る事は医学でも認めてゐる通りである。斯う分ってくると右の霊の曇りこそ、実に黴菌発生の原地である事は余りにも明かな事実である。(中略)」
(「結核の病原」医革 S28.)